ヤン・イクチュン監督主演の息もできない。DVDで。
弟くんも、いつかサンフンのように救われるのだろうか。
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- 発売日: 2010/12/03
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ヤン・イクチュン監督主演の息もできない。DVDで。
弟くんも、いつかサンフンのように救われるのだろうか。
デイミアン・チャゼル監督ラ・ラ・ランド。劇場で。
これはよくできたエンターテインメント。素晴らしかった。
冒頭の高速道路渋滞からの実に快楽的な長回しミュージカル、エマ・ストーンを始めとした女優たちのキュートさ(衣装も表情も)、随所で差し挟まれる気持ち良い音楽(菊池成孔にはコッテリ批判されているが)、使い古されているが共感させられる成功物語と悲恋と、いずれも娯楽作品としてよくできていて、非常に楽しめた。私には。おそらく、恵まれた立場に置かれた私には。
このような「売れない駆け出し女優」や「売れないジャズピアニスト」が各々、「トップ女優」と「好きなジャズをプレイできるハコのオーナー」に成り上がる一方、好き合っていても別れて別々の道を歩むという悲恋物語は、かつてはおそらくアメリカンドリームの1つのバリエーションとして機能していたし、アメリカ国内でも信じられてきたし、“憧れの自由の国アメリカでの物語”として世界各地で遍く信じられてきたものと思う。少なくとも私はそう思ってきた。しかしながら、このような寓話にノレない国民が本国アメリカにおいても多数派であることが示された今、この物語は一昔前のものに落ちぶれ果て、説得力を失ったと言わざるを得ない。
結局、内輪向けの作品じゃないか、そう思ってしまうのだ。この、少なくとも経済的には報われる物語は、ハリウッド内輪向けの物語であり、ルーザーたちには(アメリカ国内のルーザーたちにすら)届かないのではないか?そう疑問を持たずにはいられない。
gaga.ne.jp
森達也のFAKE。DVDで。
言わずと知れた佐村河内氏を扱ったドキュメンタリー。わからなかった。何が森達也の言う“FAKE”なのだろう。
18禁だからアマゾンのリンク貼るのに手間がかかるのかな?
グザヴィエ・ドランのたかが世界の終わり。劇場で。
物語性が薄すぎて、私には面白くなかった。スクリーンに映し出される人間たちが、かなりの確率でワンショット・ネックアップ?(バストアップよりもはるかに寄りで、頭が切れるくらいから首元まで)の圧迫感がすごかった。
gaga.ne.jp
山本現代に初めて行った。キュレーター氏の文章に惹かれて訪れた。
私の心をくすぐる作品はあまり無かった。時間軸を2次元の絵画の中で表現しようと試みた作品には興味を持った。人がひっきりなしに展示を観に来ていて、キュレーター氏がスターであることはよくわかった。
ラース・フォン・トリアー監督のニンフォマニアック。DVDで。
4時間をかけたニンフォマニアのジョーに関する女一代記。正直、vol.1とvol.2の半分くらいは退屈だった。とっかえひっかえセックスしようが、初体験からAFしてようが、フィストファックしようが、ガチのSMだろうが、レズプレイしようが、現代のAVをある程度見てきた人間には刺激足りえない。ぼかし入っているからステイシー・マーティンの裸体がどうこうということもない。
ジョーが集団セラピーに行くシークエンスで、しおらしく家具の角っこに軒並み緩衝材貼ったり(笑うところ)、片っ端から家財を捨てるところで、なんだかなーここまで突き進んできた人間がたかが上司に言われたくらいでこんなに堕落してしまうかねと思いながら惰性で観ていたのだけど、ジョーが思い直して私はニンフォマニアだ何が悪い的な悪態をついたところから、急に面白くなった(ここまで3時間)。若干説教臭い感じではあるのだけど、セクシュアルマイノリティの自立の話とすっと受け入れられて(LGBTに比べてニンフォマニアとかペドフィリアってさらに立場悪いよなという自分の固定観念・偏見を指摘された感)、物語世界に感情移入ができ始めた。
しかし最後の落語みたいなオチにはびっくりした。もうちょっと別のやり方あるだろ的な。
自分も観た日本向けでは、自分中絶シーンがまるまるカットされているという噂。性器にぼかしが入っているのと合わせて興ざめですね。インターネットで海外サーバーのwebページにアクセスできる時代にそんなことしてもねえ。
ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2) [DVD]
写真美術館のアピチャッポン・ウィーラセタクン展。
彼の作品を見ていると、自分の記憶の扉が開かれる。作品の中に(特に映像作品の中に)誰しもが経験することのイメージが織り込まれているのだろう、それがフックになり、子供の頃の記憶が呼び覚まされる。
永田カビのさびしすぎてレズ風俗に行きましたレポkindleにて。
世界と自分との関係性や距離がつかめなくなった作者が、その解放の象徴としてレズ風俗に行ったというルポ。という体だが、実際はその前段階たる自分や家族との関係性を分析して言語化・図示したという代物。
作者は自分の本心がわかっていなかったこと(今は一部わかったということだろう)を悔やむ。自分に引き付けて考えれば、私はこの歳になっても自分の本心がわかっていないし、社会生活をまっとうに送っているつもりだけど、それは社会性の仮面をかぶって社会に生きているだけ。ある程度自覚はしているつもりだけども。
作中、最も感動的な一節として、“予約まで”の章で「世界が広くなっていた」というセリフがあるのだけど、自分にとってもそういうことがあったなと振り返らされた(風俗ではない)。逃げ恥にて百合ちゃんが風見に「あなたが思っているより、ずーっと遠くまで行けるのよ」と言ったシーンを思い出した。(日産がスポンサーなのは目をつぶった)
この作品という意味よりはもうちょっと広く、物語一般について、物語の力に素直に感動した。作者が作中先人の作品を引用し、それに救われる様子が描かれるのだけど、この作品も少なからぬ人を救うだろう。
井土紀州監督の彼女について知ることのすべて。DVDで。
色合いなのかカット割りなのか、古臭い垢ぬけない映像だなという印象を持ちながら観た。意図的なのか、作風なのか、それはそんなに興味はないのだけど、火曜サスペンスみたいなそういう温度感の映像でした。
プロットも良く言えば伝統的な、悪く言えば古臭いもので、スタイリッシュなところはまるでない感じのお話。
女優の表情が白々しいなとも感じたのだけど、三千代を演じている人が演劇の人みたいで、それが理由かなと。メイはラストのシークエンスでの表情が素晴らしいと感じた。全般的に画面が暗かったりするので、表情がイマイチだなと思っていたのだけど、ラストのシークエンスではそれまでの画面とは全く違う表情を見せてくれ、笹峯愛の表情の幅の広さを感じた。
脚本と演出に納得感が薄かったかな。メイが真山に体を許す下りがよくわからなかったし(許さなければすべてうまくいったのでは?まあラストの伏線的とすればすんなり納得いくけど)、競輪選手が殴るシーンの拳と顔が離れすぎだし、競輪選手の太もも細すぎだし、もうちょっとやりようあるでしょ的な。