会田誠展 GROUND NO PLAN

 会田誠、GROUND NO PLAN。一般営利企業が、この展示を許しているのが、すごい。会田誠も、「どこまでやったら大林組に怒られるかなー?」とアグレッシブにいったら、まさかの全部OK出ちゃった感じだったりして。
会田誠展 GROUND NO PLAN|公益財団法人 大林財団

からだは戦場だよ2018 人間は考えヌ頭部である@ビッカフェ

 古谷利裕が取り上げていて興味を持ち、行ってみた。
からだは戦場だよ2018ー人間は考えヌ頭部である

予告篇:からだは戦場だよ2018(小鷹研究室)

  1. 背面空間を直に見る: ELBOWRIST(エルボ・リスト)
  2. 自分の身体と対面する: SELF UMBRELLING(重力反転計画)
  3. 頭部を着脱する: IMMIGRANT HEAD(漂流頭部)
  4. ドローイングと生の身体を接合する: 蟹は8本の葦である(連作)、鉄格子の中の人は訴える
  5. 規格外に伸び縮みする腕: ELASTIC ARM ILLUSION

の5つが展示予定だったのだけど、装置の問題で27日は「SELF UMBRELLING」と「ELASTIC ARM ILLUSION」は体験できなかった。その他の展示を体験した。
 加えて、軟体生物ハンドについても体験した。

 「蟹」については、自分の認識としてはそんなにぞわっと来なかった。しかしながら、定量的にしてみると(学生さんと斜めに手を交差させて、反射を見るようなゲームで点数を競えるようになっていた)、クロスさせた場合はクロスさせなかった場合に対して点数が低く、反応も遅かったので、認識できてはいないものの、脳はしっかり混乱していたのだと推測できる。
 アナログものとしては「鉄格子の人・・・」の方がより、自分としてもぞわっとする感じがあって、それは被験者の指の動き(=鉄格子の中の人の手の動き)と、鉄格子の中の人の身体の動き(被験者の親指に押されて動くようにできている)が一致していることで、相乗効果的に自分の手が鉄格子の中の人の手のように思われたんじゃないかと素人考えでは結論付けられた。

 ELBOWRISTについて、これは、

  • 片手ずつ動かすか、両手同時に動かすか
  • 頭を上下に動かすか、否か

で、印象が全然違った。片手だけ動かす場合は割と動かせる(おそらくerrorを認識せずに無自覚に修正しているだけなのだが)のだけど、両手となると途端に脳が混乱した。もちろん、特に両手が対象でない動きをする時に、著しく混乱して、私は慣れることはなかった。頭の上下についても、やはり、後頭部視点で下を見ようとした際に、無意識に顎を下に引いてしまう動きがやめられなかった。自分の視点・視線を動かすことと、身体の動きとが、無意識のうちに連結されていることに気づかされた。頭では後頭部視点なのだと理解させても、そう身体を動かせない。

 IMMIGRANT HEADについては、首が徐々に外れていく方も銅鑼で吹っ飛ばされる方もそんなにぞわっとしなかった。後述のように、そもそも生首的なものへの嫌悪が著し過ぎて、他の感覚を鈍らせているのではないかと。

 軟体生物ハンドについて、私が体感したものとしては、シリコーンの柔らかハンドをぐにゃぐにゃやられているのを見ながら、陰に隠れた自分の手の相似な位置をつんつんされていると、自分の指が通常感じるよりもぽわんとした圧力を感じた。これで展示側の意図通りだったのかしら??

 我々の脳が我々の体をどう認知しているか、という観点で、自覚しているよりもかなり曖昧に自分の身体を認知しているものなんだなと実感した。事故等で、身体の一部を欠損した人が、後遺症で失った部分の疼痛を感じたりする症例とか、これと関係しているんだろうか。
 来場者に紙でも配ってアンケートでも取ったら、今後の研究に役立つのではないかと老婆心ながら思った。

p.s.
 私が種々の錯覚などで感じる「不安」が本当にそれなのかを自分で疑問に思ってしまう理由として、自分が異様に感情移入しやすい質なのではないかと思っていることが挙げられる。メスを肌に入れる映像であるとか、他人の血であるとか、注射の針が肌に入る映像であるとか、これらの肉体を傷つける類の映像が尋常じゃなく苦手で、どうも他人よりのその程度がかなり強そうである。ゆえに、錯覚に伴う作り手側の意図通りの「不安」なのか、自分固有の肉体損壊に対する異常なまでの不安なのか、わからない。今回の展示でいえば、IMMIGRANT HEADで首から上が、首から下と別れるということに対する、私の反応。

p.s.2
 哲学の領域に踏み入っていると思うのだけど、発信側は言語で、受信側は言語からの想像でしか伝達できなかったことが、テクノロジーによって体験の体をなして伝達できるようになったという意味で、この領域の研究が加速されやすい環境が整ったということなんだろうか。

p.s.3
 HMDの進歩もさることながら、プロジェクターの開発も進んでいっているので、プロジェクターで体感できるような展示ができると、より民主化(12歳以下の子供や、酔うタイプの人にとって)されるということになるんだろうか。

p.s.4
 幽体離脱的な仮説と、テレビゲーム等において主観画面なのにプレイヤーの頭部が見えたり運転している車の全体像が見えたりと若干神の視点でプレイすること、とは何か関係があったりするのだろうか。

わたしたちの家

 清原惟監督、わたしたちの家。映画ってなんだろう、そう思わせられる映画だった。
 玄関がシャッターである民家兼昭和のタバコ屋みたいな建物に住む①セリと桐子の親子、②さなと透子、のパラレルワールドを2つを交互に描いていく。

  • スクリーンに映し出される画の構図
  • 座る位置など、その世界の中での座標

が意味深で、過去に観た映画を思い出させる。
 この映画はその世界をただ、描き出して、ちょっと2つの世界をつなげて、上映が終わる。描かれる2つの映画世界において、基本的に何も明らかにされない。
 清原監督は、映画技術をよく勉強していると思う。映画を観てきた人が観客となった際に、こころくすぐられるような要素を各所に散りばめている。でも、だから何?というのが正直な感想。世界が閉じていて、私に訴えてくるものは特に感じなかった。監督の、世界に対する態度表明としても、特に何も表象されていないでしょう。透子に象徴される日常の繰り返しを積極的に肯定しているようにも見えない。
 また、あくまでも2つのパラレルワールドはどちらが主で残りが従でというわけではないと思うのだが、セリがクリスマスツリーを地面に挿して電飾が点くシーンによって、①セリと桐子の世界が世界と信頼性を失い夢の世界のように捉えられてしまう訳だが、それはおそらく作り手の意図に沿ったものではないだろう。
 そして、知りたいと思う謎が食卓における座る位置である。あの家の食卓における上座を、映画の前半ではセリと透子がそれぞれの世界において定位置としていたことに意味はあるのか、後半で透子の座る位置が変わったことに意味はあるのか、それが知りたい。
 大学院修士課程の制作作品としては、実にすばらしいと思う。でも、それで1800円をとって見せるに値するかというと、個人的にはどうかなと思う。
 日本家屋ってこんなに直線で構成されていたのかと思い出さされた。そういう機能的な面では、語るべきところの多い映像であった。
清原惟監督作品 『わたしたちの家』
www.eurospace.co.jp
youtu.be

モダニストの日本美―石元泰博「桂」の系譜

 三重県立美術館にて、モダニストの日本美―石元泰博「桂」の系譜。
 モダニズム建築という波が西欧にて巻き起こった一方、そのエッセンスがすでに近世日本建築(特に桂離宮)に存在していることが発見された。その一通りの流れを、画家三好好太郎の作品から始め、石元泰博の写真に到達するという展示によって、追体験しようという試み。
 彼らが日本的美であるとかモダニズム的に美と定義したものは、主に直線で構成され(建築だから当たり前?)、原則対称性の極めて高い形状(展示されている写真も等角図を意識したのか、写真の底辺からの構造の角度が30度のものが多い)なんだけども、“遊び”として若干対称性を崩す(石のような天然物の形状や、格子を増やしたり減らしたり)というものと感じた。言語化するのは難しいのだけど、直感的にはよくわかる。
 最も印象に残ったのは、丹下との論争の中に出現した、岡本太郎であった。
 館長さんが三好好太郎マニアなのかな?恥ずかしながら本展にて初めて知りました。
三重県立美術館 モダニストの日本美―石元泰博「桂」の系譜

リボーンアート・フェスティバル 東京展

 ワタリウム美術館で。やっぱりぐっとくるものがある。
 島袋道浩の作品、「起こす」の方はふーんと思っただけだったのだけど、「起きる」の方を見て、泣きそうになった。「起こす」は島袋らが浜辺に横たわっている木や石を立てたインスタレーション。「起きる」の方は津波になぎ倒された若木が、90度に幹を曲げて伸びている作品。
 もう一つ、金氏徹平のWhite Discharge(建物のようにつみあげたもの/石巻)。私くらい歳を取ってくると、積み上げられた材料たちの持っている(持っていた?)物語に思いを馳せてしまう。感極まってしまうよ。
リボーンアート・フェスティバル東京展、reborn art festivalin Tokyo

世界にひとつのプレイブック

 世界にひとつのプレイブックを一人寂しく観直してみたのですが、脚本けっこう狂ってんな。いや、好きなんだけど。褒めているんだけど。でも、プロットが結構むちゃくちゃだわ(笑)

 なんでこの時べた褒めだったんだろう(笑)
creep.hatenadiary.jp

剥き出しにっぽん

 石井裕也監督の大阪芸大卒業制作作品、剥き出しにっぽん。DVDで。
 これはなかなかすごい。中盤から最後まで、グダる感は否めないのだけど、導入から話の展開までは、俊逸に面白い(学生映画としてはかもしれないけども)。
 男子高校生的なホモソーシャルなネタ感と、謎に背中から尻までのサービスショットまで、(学生時代の)石井裕也の考える「映画の面白さ」が90分に詰まっている。
 セリフの録音はかなり小さいので、DVD化するときにどうにかならなかったのかしらとは思う。
反逆次郎の恋に繋がるモチーフ(なんか知らないけど同棲しちゃうとか、宇宙に対する態度とか)がちょいちょい出てきて、反逆次郎の恋の理解度向上にも貢献した。

剥き出しにっぽん [DVD]

剥き出しにっぽん [DVD]

東京の恋人

 笠井爾示写真展を渋谷ヒカリエ8階にて。写真って、もはやプロでもそこそこの光沢紙にインクジェットでプリントアウトして作品にする昨今、プロの撮る写真とはいったい何なのか、考えさせられた。解像度ではない。
www.hikarie8.com

硝子の葦

 WOWOWのドラマ、三島有紀子監督、プライムビデオで。全4話。
 1話目、辛かった。誰にも感情移入できない。世界が釧璃(釧路のもじり)に閉じている。グロい。本当に2話目を観るべきか迷った。半分以上惰性で2話目を観た。素晴らしかった。
 相武紗季演じる主人公、節子が、初めて笑った。世界の景色が明るくなった。閉じた世界が、人間の内側に開いていった。普遍性を持つ物語に転化されていった。

 正直プロットを思い出してみると、2時間不要で90分でまとめられる内容のように思う。それを4時間たっぷり使って風景の描写を差し挟みながら描き出した。でも、それだけの価値はあったように思う。
 1話目は恋の渦の冒頭30分並みに辛いのだけど、2話目以降花開くので、ぜひぜひ観てみるべきと思う。ググってみても全然、批評・レビューの類がない。正直観られていないドラマなのだろう。でも、三島有紀子渾身の一作なんじゃないかと思う。
 
 3話目、部屋の家具の位置が変わっていることに気づいたあなた、鋭いです。それくらい鋭い人には、4話目の描写はくどいですね。説明過剰に感じると思います。私は、ラストから2番目のシークエンスは、タバコの持ち方だけで説明するのが乙だと思います。ピアスは過剰。