蓮沼執太フィル『アントロポセン -Extinguishers 愛知全方位型』

 蓮沼執太フィル『アントロポセン -Extinguishers 愛知全方位型』
 ライブにはエラーが付きものである。したがって、音そのものとしては、CDの方が優れているだろう。そう考えていた。ライブを体感しても、その考えは変わらなかった。
 しかし、帰りの車中、CD音源を聞き直して、考えを改めた。あのライブには、この音源に存在しないものがちゃんと表現されていた、と。弦楽器・金管楽器・ドラムス・マリンバ・スチールパン、各々が各々のそしてある調和を持ったリズムで旋律を刻む。これはライブでないと感じられないものだった。
 おそらく、フルートを除いてソロパートがあり(スチールパンもなかったかな)、16人それぞれに見せ場があったので、それぞれに個性のある楽器の音そのものを楽しむこともできた。(サックスだけひどい音で、マイクが悪かったのか大谷さんが悪かったのか・・・)
 中でも印象に残ったのは以下2点。
 蓮沼フィルとK-Taさんが、私にマリンバを聞くことのの楽しさと可能性の深さとを教えてくれた。
 石塚周太さんの玄人感に惚れた。

 しかし、何と言っても、この16人を拘束しているんだからね。なんて贅沢な空間だったんだ!
www.hasunumaphil.com

サバイバルファミリー

 矢口史靖監督のサバイバルファミリー。netflixにて。シリアスから破綻していくコメディとして見た。
 いろいろと人物描写が紋切り型なのは気になりつつも、冒頭から相応のリアリティを持って描写してくるし、何と言ってもロケ撮影の贅沢感に浸りながら、楽しんで観ていた。ところが、父が死ぬ的なシーンから破綻が個人的にもう取り返せないレベルに到達して、後は悲しいシーンでも、痛いシーンでも、怖いシーンでも、全部笑ってしもうた。
 私も大人なので、サバイバル数週間もしていてなんで痩せないのかなんて愚問はしません。大人の事情として理解します。ただ、なんで上述の父が死ぬ的な件から急に演出が雑になるのかということは問いたい。フックとしてのツッコミどころだとは思うのですが。 

  • どこの川という設定なのかとか
  • なんでスポークにとんがらせた口を突っ込んで溺れていくのかとか
  • 父の不在を示す遺品がズラなのかとか
  • SLが急停止してみたりとか
  • 「停まってぇ!!!」の一言でSLが停車してみたりとか

もう、ギャグじゃん。
 ただ、葵わかなが豚食って泣くシーン、あれは最高だった。

中谷ミチコ特別展示(敬老会特別展2018)

 私立大室美術館にて。彼女の祖父の民芸品と、彼女の作品と。
 初めて彼女の作品を観た。これは、写真では、伝わらないだろう。型を用いてつくった石膏の窪みに、場合により薄く着色した樹脂を流し込み硬化させたもので、窪みの深さ=樹脂の厚みが目に届く色味になる。会場の照明によるが、作品の樹脂表面で反射した光を、カメラの素子は受光してしまうので、写真で作品そのものを捉えにくい。
 川の流れる水は観ていて飽きず長らく見続けていることができるわけだけど、この無限のグラデーションの黒い鳥たちも同じように長らく見続けていられる。女の子と鳥との境目はまだ試行錯誤の様子が見られるが、これもいつか克服されるのだろう。
 単なる思い付きだけど、石膏部分も含めて樹脂をのせて、サンドブラストとかうまく研磨すると、部屋の照明に左右されない作品になったりしないのかなとか。
敬老会特別展2018 — atelier ichiku
 これを過去に読んでいたことを思い出した。
www.cinra.net

 分館も観せてもらった。橋本雅也の鳥の彫刻。ジェームズ・タレルの作品のような分館の薄暗がりに展示される小鳥。
私立大室美術館分館 開館記念特別展 — atelier ichiku

マイマイ新子と千年の魔法

 片渕須直監督のマイマイ新子と千年の魔法。プライムビデオにて。

 私は基本的に、アニメーションよりも実写映画を好んできた。それは、アニメーションでしか表現できないものなんていまどきあるだろうかと疑問を持っているからだった。しかしながら、この映画を観て、その自分の認識が誤りであることを認めることとなった。

 2つの時制を行き来しながら2組の女の子同士の交流を描く。時に時制が夢という形で交わる。観客の視点は空から、水の中から、動く動く。カメラで撮影するのでは気の遠くなってしまいそうなアクロバティックな動きも、アニメーションでなら描くことができる。

 ただ、解説を聞きたい。これは私が初見で受け取ったよりも多くの情報が練り込まれているはずだ。

マイマイ新子と千年の魔法 [DVD]

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藤村龍至展 ちのかたち――建築的思考のプロトタイプとその応用

 TOTOショールーム併設ギャラリー間にて藤村龍至の個展。

 圧倒的な物量の習作たる模型が展示され、同時に定点観測的に撮影され連続写真的に編集された映像も展示されていて、設計の変遷がよく見える。また上のフロアでは習作を経て造られた実際の建築物の映像が流されている。

 会場に文章で示されている藤村龍至の思想的な面が反映されている一方、なぜその選択をしたのか?はわからない。勉強またはセンスが必要と言うことか。その点、あいちトリエンナーレ2013で試された多数決で決めるという選択はわかりやすい。ただ、素人たちのNot worstが最善の選択ではないので、、、

jp.toto.com

もらとりあむタマ子

 山下敦弘監督のもらとりあむタマ子。プライムビデオにて。
 まあ、基本的には大きな主題は感じない、オフビートなぬるいお話しなので、積極的に観る必要性は感じない。一方で、前田敦子の女優としての才能はもっと評価されてもいいんじゃないかなと。
 主題歌星野源なのね。

ひとりずもう

 久しぶりに、目を潤ませながら、読んだ。

ひとりずもう 上―漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 上―漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 下 漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 下 漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

幕が上がる

 平田オリザ原作、本広克行監督、幕が上がる。プライムビデオに来たので待ち構えて観た。演劇に対する本広克行の愛が詰まっていた。
 弱小高校演劇部に“学生演劇の女王”が接触することで、演劇部もそしてかつての女王も人生を変えられてしまう。そんな物語。
 冒頭記した通り、本広克行の演劇に対する思いがビンビンに伝わってくる。映画もあり、小説もあり、数多劇を見せる手段がある中でも、演劇って素晴らしいものだと思わされる。少なくとも本広克行はそう強く信じている。
 本作には「肖像画」という即興劇が出てくる。物語上、本来は、学生演劇の女王だった黒木華肖像画を演じたところが眩いほどの魅力でなくてはならないのだけど、残念ながらこのシークエンスは心に響かない。ただし、ももクロちゃん達演じる弱小高校演劇部員たちが演じる肖像画のシークエンス。これは素晴らしい。一気に惹き込まれた。
 同時に演劇に囚われた人間の業をも描き出す。演劇は魅力的であるがゆえに、蟻地獄のように人間の人生に取り付いてしまうようだ。
 黒木華は横顔が魅力的。
 平田オリザの演劇についての知識があるとさらにちょっと楽しい。セリフの意味が増す。想田和弘監督、演劇1演劇2も観てから観るとよろしい。

幕が上がる [DVD]

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演劇1・2 [DVD]

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内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える

 水戸芸術館で催されている、内藤礼の個展。訪れる価値はある。が、豊島美術館の方がよりいい。
 「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに私も会場を歩いた。白い塗り壁、グレーに塗られた壁に反射して、部屋を明るくする日の光。人間の動きや息で揺れさざめく糸・ビーズ・風船・水面。これが後から考えると仕掛けであった。
 順路の後半になるにつれて窓がないゆえに隣の部屋から漏れる光で視界を確保する中、前半と同様の小品の展示が続く。1カ所だけ小さな小さな小窓が設けられていて、きらびやかな光が射し込んでいる。惹かれるものの、ベンチに座り側に待機しても、私には天啓は降りてこなかった。
 しかし、最後の部屋に向かう私を一筋の強烈な光が照らす。LEDチップを集積した発光体だろうか?と訝しんで近づく。それは小さな鏡だった。その光は最初の部屋の白壁に反射した、太陽の恵みであった。これまでの順路で周到に導かれた心持ちとこの部屋を回想する。全てが天から与えられたものであった。薄暗い部屋で発光体のように見えるその光も天から与えられたものであった。長い人生の中で慣れきってしまい、特に周囲が明るいと全くありがたみも感じない日の光は、こんなにも強烈なものなのだ。私達はこれを天から与えられ続けてきたのだ。ひととおり思いを巡らせていると、込み上げてくるものがあった。私達は、それそのものとして祝福されているのだ。そう感じた。
水戸芸術館|美術|内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える

 でも空間としての心地よさは、豊島美術館が上。川や海。流れる水(のようなもの)を我々はどうして偏愛してしまうのか。

タイニー・ファニチャー

 レナ・ダナムの原点タイニー・ファニチャー。イメージ・フォーラムにて。
 大学で映画理論を修めたところで仕事が降ってくるわけじゃない。オーラは、売れっ子写真家の母と容姿端麗前途有望の妹が住まう実家兼仕事場に舞い戻る。鬱屈とした思いを抱きつつ、ビストロの受付を仕事にしてみたり辞めたり。幼なじみのエキセントリック芸術肌に振り回されたり、妹のホームパーティどんちゃん騒ぎにイライラしたり、支離滅裂に母と妹にキレて苦笑されてみたり。何者でもない若者の焦りと衝動ともろもろとが描かれる、そんな映画。
 冷静な言葉と視線を投げかけつつも、母の心は優しくオーラに寄り添う。最後の母娘のダイアログは感動的だし、この作品の全てであろう。見始めたら最後、途中でつまんねーなーと思っても、最後のダイアログまでは観ましょう。そこで取り返せるので。
 観る前に情報入れ過ぎなのは否めないのだけれど、母役、妹役が、実の母・妹で、しかも容姿が割と似ていないというのが小道具的に効いている。妹のすらっとした身のこなしは、姉との対比が鮮やかで、素晴らしい。
 ただし作品としては、まだエントリ書いてないけど、GIRLSの方が遥かにおすすめ。タイニー・ファニチャーとGIRLSを比較することで、プロデューサーがつく意味がよくわかった。遥かにウェルメイドで主題が研ぎ澄まされている。本作で才能を見出し、GIRLSとして結実させる仕事。
 まずはGIRLSを観るべし。ジェマイマ・カーク、アレックス・カルボウスキーも観られる。
www.tinyfurniture-jp.com