愛がなんだ

 今泉力哉監督、愛がなんだ。平日午後3時で満席というすごみ。
 岸井ゆきの演じるテルコを主人公として、テルコが思いを寄せるマモル、テルコの親友葉子、葉子に思いを寄せるナカハラ、マモルが思いを寄せるすみれを中心に(といっても、前半体感99%テルコの表情がスクリーンに映し出されていたが)描かれる。
 上に「思いを寄せる」が3度登場する通り、矢印は行き違う。そして、思いの非対称性が相似形であったり、鏡像であったり、お互いの関係性にもフィードバックされたりする。
 テルコはどこにも行きつかない。テルコは、逡巡こそするものの、テルコであり続ける。中盤、鏡像のように描かれたナカハラとは決定的に異なっていた。では「テルコ」とはなんだ?そして、テルコがマモルに寄せる思いとはなんだ?
 狗飼恭子が↓と言っていたが、


なるほど、ホラーとして捉えれば、いろいろ腑に落ちる。
 この映画のヒットに伴い、筒井真理子片岡礼子にもっと陽が当たるようになるといいなと心から思う。
 愛がなんだってんだよ!
aigananda.com

次の電車があと何分で来るか分かるガジェットをM5stackで作ってみたい

qiita.com
github.com

↑を作ってみたいのだけど、AWSのアカウントをつくったところで死んだ。
ソースコードが公開されていても、AWS Lambdaにどうやって書くかがわからん。

インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史

 埼玉県立近代美術館にて。
 思ったよりは刺激が少なかった。黒川紀章のHelixが飛びぬけて「impossible」だったけども、まあぬるま湯な展示が多かった印象。
 個人的には、岡本太郎の「僕らの東京都設計図」を見て、昨年の表参道での会田誠の個展「GROUND NO PLAN」を想起したのだけど、ちゃんと最後に回収されていて、まあそうだよな感を持った。ザハ・ハディド案とか別に「impossible」じゃないし、impossibleの定義はよくわからなかった。
 模型の作成にクレジットされている建築系研究室の学生たちは地獄を見たんだろうか?そっちのエピソードの方が「impossible」感があったりしないだろうか。
www.pref.spec.ed.jp

cf.
www.obayashifoundation.org

月夜釜合戦

 ユーロスペースで月夜釜合戦。上映後ティーチインは佐藤零郎監督・川瀬陽太瀬々敬久の3人の回。
 瀬々が控えめに「映画がうまくない」と言ったように、well-madeからほど遠いところにあるこの映画。後半(特に残り30分くらいから)物語は淀んで物語的な面白さは薄い。ただ関西に過ごしたことのある人間にはわかる、釜ヶ崎の空気を切り取った記録映像的価値の高さが光る。新世界もどんどんキレイに脱臭脱色されていく昨今、何か忘れてはいけない光と影の影の部分を思い出した。そして、影というのは悪い意味ではなく、単に影なのであり、そこにはそこの生活や喜びや幸せがあるのだと。
 まあでも、足立正生を出演させて物語世界を少しでも外へ開く意図云々は、それは自主映画界隈の内輪の論理であって、別にそれで物語が開くかというと。。。
tukikama.com

インターステラー

 クリストファー・ノーラン監督、インターステラー。prime videoで。とんでもない映画だった。
 映画は3次元を2次元のフィルムや撮像素子に写し取り、それをスクリーンやテレビに投影して観るものと認識している。メディアの性質上、2次元までしか扱えない。それを錯覚やら、「決め事」を用いて、3次元を再現しようと試みている、と認識している。
 この映画では4次元や5次元が取り扱われ、表現されている。そして、ブラックホールワームホールも取り扱われ、表現されている。それが、私にとっては何よりも衝撃的であって、この映画は私にとって唯一無二の存在となった。
 オチ的に無次元のモノである「愛」が取り扱われるところとか、ツッコもうとする人からすればツッコミどころ満載なんだろうが、何よりも子供の頃から宇宙物理が映像化されていることに興奮してしまい、それどころでなかった。一級の宇宙論学者(Kip Thorne)が製作総指揮なのだから、一般民がその点に関して考証することは難しかろう。

個人的な参考文献はこれ。

まんが・アトム博士の相対性理論

まんが・アトム博士の相対性理論

まんが アトム博士の宇宙探検 (アトム博士のまんがシリーズ)

まんが アトム博士の宇宙探検 (アトム博士のまんがシリーズ)