スティル・ライフ

 僕は同じ小説を何度も読むということはほとんどしない。そのわずかな例外のうちの一つがこのスティル・ライフだ。この小説にはリアリティが希薄だ。乾いていて、つるっとしていて、無駄なものや遊びの無い印象を受ける。そう、エッセンスだけで描かれているという感じだ。散文でありながら、詩、であるかのような読後感がある。事実池澤夏樹は詩人でもあるのだが。
 主人公であるぼくはこう言う「いや、本気じゃない。ぼくはいつも計画だけなんだ。計画は山ほどある。寿命が千年くらいあったら、はじから実行に移す。千年ない時には、よく考えて選ぶ。」彼は何も選択しない、いや、文中にこうある。ぼくは、とりあえず、迷っていることを選んだ。
 この物語には外的世界と内的世界、その狭間にいる自分という存在、その距離感について何度も書かれている。というより、そのことがテーマだ。外的世界と内的世界の狭間で漂っているだけの自分を、佐々井という唯一と言っていい登場人物との3ヶ月を通じて確認する。その過程が記される。たぶん、僕がこの小説を何度も読んでいるのは、そんな「ぼく」に共感するところがあるからだろう。加えて、雨崎での降雪のシーンに代表されるような、絶対というものの存在を信じず、万物を相対化してしまうようなこの作品の世界観、姿勢にも共感しているからだろう。
 何かうまく言えていない。今度読んだ時にはもうちょっとうまく言えるだろうか?

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)