ギルバート・グレイプ

 ラッセ・ハルストレム監督のギルバート・グレイプを見た。
 ノスタルジックな音楽で優しげな雰囲気を醸し出し、キャンピングカーが通っていくというアメリカの田舎の方の牧歌的な印象から始まるが、それはもちろん、この映画の過酷な現実を際立たせるための前フリに過ぎない。郊外にできたショッピングセンターに客を奪われた食料品店、ばれてしまう不倫、もうどうしようもない母の体重、そして、知的に障害をもつ弟。そういったものに決着をつけることを先送りにしてきた、ギルバートを始めとするグレイプ家。その近くに偶然滞在することになった放浪人のベッキーとの触れ合いが少しずつ、物事を変えていく。
 ベッキーと悩ましいギルバートが刻々と変わっていく夕暮れを見るシーンがある。この映画でベスト3に入る美しいシーンなのだが、このときギルバートはとんでもなく大きな(劇中でもっと巨大な言葉を使わなければこの空を表せないとベッキーが言うくらい)空を知り、また、遠くから我が家(=悩みの象徴)を見て、その確固としてある小ささに気づく。このようにベッキーによってこののろわれた家族は変わっていく。
 また、ラストでギルバートは、逃避したり旅立ったりというような外的な場所的な変化ではなく、その場に残り、アーニーと共に生きるという内的な変化を選ぶ。もちろん、ただ変わった、のではなく、父の呪いそのものである家を焼いてしまうのだが。このシーンでレオナルド・ディカプリオ演じるアーニーが見せる一瞬の笑顔がとても強い印象を残した。あの笑顔は、よく見せていたへらへらとした笑い以上の何かが含まれていた。
 この映画に関しては、レオナルド・ディカプリオの演技に触れずに済ますことはできない。この映画で彼はアーニーそのものだった。

ギルバート・グレイプ;WHAT'S EATING GILBERT GRAPE [DVD]

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