運動靴と赤い金魚

 マジット・マジティ監督の運動靴と赤い金魚を見た。
 貧しい一家の兄妹の兄の方が、修理してもらった妹の靴を不注意から失くしてしまう。親の苦労を知る兄妹はそのことを両親に言えず、兄の靴を交互に履いて学校に通う…というお話。
 冒頭の靴を糸で縫って修理するシーンに始まり、貧困というものが繰り返し繰り返し強調される。恵まれた環境にのうのうと生きている我々に見せつけるかのように。家賃を払えていない、窓が割れていても修理できずビニールを張ってある、などなど、厳しい現実をこれでもかこれでもかと見せる。さらに裕福の象徴たる車、英語、携帯電話の看板を提示し、無視できない貧富の差を見せる。豪邸は生き生きとした木々に囲まれ、バラが生えていたりするが、この兄妹の家は高く無機質な石でできている。もちろん、視覚的に色彩が全然違う。片方は命のある色を、片方は命のない色をしている。
 それでもこの家族は人間としてのプライドを持って生きている。次のようなエピソードが挿入される。イスラム教の集会で出す紅茶用の角砂糖を父親が割るシーンがある。父親は自分のために娘(兄妹の妹)に紅茶を入れさせるのだが、それ用に家の角砂糖を持ってこさせる。娘は目の前の集会用の角砂糖でいいじゃないと言うのだが、父親は家のものでいいと言う。このエピソードでもって、貧しくも正しく生きるという美しい父親像が示され、感動を誘う。
 だが、である。この映画のヤマ場である学校対抗のマラソンに、アリ少年が出場を決める時に全部崩壊する。彼は期限に遅れ、モラルを犯して先生に涙を流し無理やり頼み込み、出場させてもらう。目の前の角砂糖1つごまかさない男の息子が、平気でズルをするのだ。読み返してみてうまく言えていないが、映画を見てみると、父親の感動のエピソードとアリ少年のマラソン出場のエピソードははっきりと矛盾している。なぜ、この監督はわざわざアリ少年が涙を流してモラルを無視するシーンを入れてしまったんだろうか?答えが出なかった。
 これのおかげでしっかりと冷めてしまい、このあとは見れたもんじゃなかった。マラソンのスローモーションが長過ぎに感じ、最後のアリ少年が小池に足を入れると金魚が周りに寄ってくるシーンはイマイチ美しさに欠けるように感じた。やはり、なんであんなシーンを入れたのかが疑問で疑問でしょうがない。そこまでは結構よかったのに…。
 この映画で見るべきといえば兄妹の演技でしょう。貧困を貼り付けたような表情から、一瞬で笑顔になったりと喜怒哀楽の表情が微笑ましい。生まれもっての顔のおかげかな。。。あとは妹が靴を溝に落としたときの小話は作り手の思うがままにハラハラさせられた。

運動靴と赤い金魚 [DVD]

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