パイロットフィッシュ

 大崎善生のパイロットフィッシュを読んだ。うむ。
 エロ本の編集者をしている山崎の消えることのない記憶の数々、それに縛られ続ける彼自身、そしてそれを踏まえて、が綴られる、なかなかに感傷的な物語だった。
 水槽の環境を整えるためだけに存在し、環境が整うと捨てられる運命にあるパイロットフィッシュ、これを題に持ち、冒頭の一節が「人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。」なので、もう最初っからセンチメンタリズム全開である。でも、なかなかどうしてこの小説は勘弁してほしいような青臭さは持っていなかった。そりゃそうだ作者は40代だから。直喩の多用、音楽によるイメージ、からりとした性描写、暗示的な数々のエピソード、など村上春樹の影響を多分に感じる文章だけど、彼の影響を感じさせる多くの小説とは違い、こてこて感がなくて(特に比喩)、さらりと読むことができる。影響を受けつつも自分のものにしているなという感じだろうか。ストーリーも良くできている。19年前と現在とを行き来する展開だが、山崎の周りで起こった忘れることのできないさまざまな出来事が、今の彼を形作っているということを丁寧に説明してくれる。山崎も、昔の彼女である由希子も、そして他の人々も、失うことのできない記憶という形で心に傷を抱え、さらに今現在も何がしかの問題が降りかかってくる中で生きる。
 なぜなのかわからないが、その登場人物たちの傷を見せられることで、読者は癒されるというか、勇気づけられる気がした。彼らは癒すことのできない傷を背負い、でも今を戦いながら生きる。過去の過ちを克服するのではなく、それを受け止め、過ちを内に抱えて生きる。それは物語中で言われるように、人間という生き物が記憶の集合体であるので、彼らの傷が記憶として残っているのだから、その傷は薬をつけて治すことなどできるわけもなく、傷と共存して生きていくしかない。それは人間が社会で生きていくのであれば、誰しもが持っている悩みであり、弱さであり、だからこの小説は多くの人の共感を呼ぶことができる。完全な人間が登場しないリアリティ。んー頭の中にあることがうまく文字にできない。
 ただ、そんなお話であるけど、いつからか歯車が狂ったように暴走してしまう。p.f.3の最後、ここで作者は愚策を弄してしまう。この小説の美点はセンチメンタリズムを描きながら、羞恥心のある抑えた文章でこっ恥ずかしさを感じさせないところだと思いながら読んでいたのだが、作者はここで伏線の謎解きみたいな、鼻にかかるような説明をしてしまう。ここで文字通り魔法から覚めるように、感情移入を妨げられてしまった。つい「あーやっちゃったよ」と言ってしまうほどのミスだ。これのおかげでこのあとはなんか惰性になってしまう。その後の物語でこのことに対する明確な答えを避けるシーンがあるのだが、それだったらここで余計なことすんなよと、この小説に対しての唯一の注文をつけたい。
 その、作者が調子に乗ってしまったところまではほんとに良くできている切なく美しい小説だと思う。

パイロットフィッシュ (角川文庫)

パイロットフィッシュ (角川文庫)