目覚めよと人魚は歌う

 星野智幸の目覚めよと人魚は歌うを読んだ。
 星野の小説を読むのはこれが初めてだったのだが、独特のエグさを持った文体に、というよりは描写の質的に、昔の勢いのあった頃の村上龍を思い浮かべた。舞台は中伊豆でありながら、広大な乾いた荒野を思わせ、中南米を思い浮かべると書いている人が多いが僕にはよくわからず、ただただ乾いてささくれ立った感じを受けるのみだった。テキサスという言葉が何度か登場し、男と女の壊れた関係とそれによってもたらされた個人としての崩壊が書かれていることにヴィム・ヴェンダースパリ、テキサスを思い浮かべた。そして特に前半部において人がモノであるかのように描かれ、対して貝の笛がアンソニーという名を持ち、その倒錯的な扱いに違和感を感じつつも、この小説の持つ破壊されているイメージから受け入れざるをえない感じだった。
 自分の出自に原罪めいた何かを抱き続け、分裂症的に損なわれてしまっている主人公ヒヨヒトがある確信を勝ち得て、そして向かっていく姿勢をとるまでの、その期間を捉えた小説であり、未だに消化できていない自分を感じるのみで、他に何と形容すればいいのかまだわからない。という感想しか思い浮かばなかった。

目覚めよと人魚は歌う

目覚めよと人魚は歌う