ルート181

 実に不可解な映画だった。評価が非常に高いのだが、個人的にはいまいち評価できない。国連決議181号で停戦ラインとして出された幻の国境をルート181と名づけて、南から北へとたどるという、3章構成のロードムービーとの触れ込みなのだが(僕はロードムービーと呼ぶのは不適切な気がしてならない。数々の土地が登場することはこの作品にとって肝であるだろうが、その移動の感覚はこの作品に些かの肉付けもしていない。むしろ、車での移動中なのだろう外の風景のシークエンスは冗長ですらあった)、まず、第1章、第2章は、ほとんどパレスチナに好意的に、イスラエルに悪意を持って作っているようにしかみえない。出てくるイスラエル人は口々にアラブ人とは共存なんてできるわけがない。やつらは生まれながら劣等なんだ的な思想を持っていそうなやつらばかりだ。主張のない映画なんてクズだという意見もごもっともだが、片一方に偏った意見ばかりを提示していく映画は、それこそナチスあたりのプロパガンダ映画と同類なのではないだろうか。個人的には奥行きがないの一言で片付けてしまいたい。
 それでありながら、進んでいくにつれて、というか最後のいくつかのインタビューはイスラエル人の悲哀を感じさせるような内容となっていて、それまでの流れに逆らうような内容になっていて、この順に編集した意図が読めなかった。とは言うものの、このいくつかのインタビューが最も僕の心を捉えた。ある初老の男性は、土地からアラブ人を追っ払った経歴を持っている人間で、インタビュー中ほとんど、追放は当然だと、強い語気でもって畳み掛けてくるのだが、インタビュアー(イスラエル人の方の監督だろう)が、目の前で女子供も追っ払ったのか?たくさん殺したのか?などと矢継ぎ早に質問をしたときに、男性は言葉を数秒失い、どもる。実に人間らしいショットで、ふたをして触れないようにし、思考を停止させていたものを掘り出され、何らかの思いが頭をよぎった瞬間だった。それをカメラは逃さない。
 ある男性や、ある女性はモロッコやチュニジアからシオニズムに乗って移民してきた人間なのだが、戻りたいと言う。特に女性の方は、この土地で戦争によって人間が簡単に死ぬということに慣れきっておらず、ここでは生きている気がしないとはき捨てるように言う。また、共存ができないわけがない。チュニジアでは当たり前に隣人がアラブ人だったのだから、と言う。
 このイスラエル人側からのいくつかの言葉が、この映画をゴミにしていないと思う。特に初老の男性の表情は、すごいものを撮っている。