つげ義春の綴る言葉は寒々としている。漫画と同様に、何かをあきらめてしまっている人の言葉だと思う。細々と訥々と語られる言葉。そうではあるけれども、彼の作品にはダメと一笑に付してしまえないなにかしらを感じる。論理的にわかるのでなく、感覚的に知るような。それはなんだろうと考えてみる。
この本に載せられている夢日記やエッセイを読む限りでは、やれ誰とセックスをしている夢を見た。やれ何々が怖くて逃げ出したい。等々、しょうもないことばかり考えている。小市民を実物にしたような人間のようだ。いつもビクビクしている。という風に作品を読んでいると簡単に攻撃できてしまうのだが、果たして僕はそんなに偉いのかということだ。過去を振り返る時、楽しい時間が過ぎ去った時、後ろ向きな気持ちになる(少なくとも僕は)。いい心持でないとはわかっていても、止められない、いわば必要悪のような気持ちだ。こんな気持ちはなけりゃいいのだが、これがなければ「楽しい」というような肯定的な感情もないだろう。普通、後ろ向きな、弱い心は否定され、攻撃される。なじられる。対して、つげの作品では弱い気持ちを叩きつぶしたりしない。それは彼自身が弱いことをこの上なく感じているからだろうか。つげの作品のそんなところに惹かれるのかもしれない。
- 作者: つげ義春
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1992/06
- メディア: 文庫
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