柴崎友香の小説について考えたこと

 柴崎友香の小説の面白さはなんなんだろうとここしばらく考えていたが、わからなくて、少し書きながら考えてみる。
 彼女の小説は日常的な生活の一部を取り出してきたような、抜き出してきたような、そんな雰囲気に満ちている。一般的に20代の女性を主人公とすることが多いが、その内実けっこう子供っぽい一面を示す。そして物語世界の中では、大きなドラマが展開されるわけではなく、むしろ、恋愛に悩みを抱えて悶々としている女の子の、その様を細やかに(ねっとりとしたしつこさではなく、さらっとしてるわけでもなく、ただ単に細やかにというのが印象として正確。風景描写が印象的かな?)描かれる。
 ふと思うのは、日常にあふれているはずなのに、すぐに忘れてしまう小さな幸せというか、やさしさというか、そういう類のものを、僕ら(とするのはかなり乱暴かもしれない。少なくとも僕)が現実世界の中で感じるような形式で、物語上に映し出しているのかなということ。たまに、あんなことがあったなとノスタルジックにいい思い出を呼び戻すことはあるが、それはホントにたまにしかない。
 これは小さくて簡単なようでいて、実はすごく根本的でかつ大変なことだと僕は思っている。世の中、そんなに大きな幸福に満ちているわけではなくて、小さな幸せを大事にして僕みたいな小市民は生きていて、一喜一憂しながらどうにかこうにか日々を過ごしている。世間にはポジティブに楽しそうに生きている人と、ネガティブに苦しんで生きている人もいて、その楽しそうに生きている人は、こういう小さな、儚いとさえ言える幸せ・歓びを反芻して生きているんじゃないかと僕は仮定しているのだけど、こういう小説という媒体を使うことで、その幸せを任意の時間・場所にリアルに(あくまでも当人が信じられればそれで良い)立ち上げることができるのであれば、僕みたいなネガティブ人間も幸せに生きられるんじゃないかと、夜、布団のなかで眠りに落ちれないときに思っていた。
 そして、登場する人物達が「生活」しているというのも大きいのかもしれない。小説というある種特殊な環境に棲んでいるのに、彼らからはかすかに生活の匂いがする。
 個人的には自分と親しみのある土地が舞台になることが多いのも大きいのかもしれない。