いつか、僕らの途中で

 この本は、前に言ったこととは違って、やたらとカッチリした言葉が鼻につく、現実と乖離した語り口だった。やわらかいタッチの鉛筆画と、小話・書簡体による絵本の体裁ではあり、合作だけれども、柴崎友香らしさを感じる。
 山梨で教師をしている大卒1年目と、京都で修士2年目の院生との、遠恋中の手紙のやりとりの中で、斜向いとか、古めかしい言葉遣いが見られて、ある種冷めたような気持ちで読んでしまった。他の柴崎友香の小説も読んでいるから、これがわざとなのは分かるのだけれど、その狙いはなんなのだろう?この物語世界はファンタジーなんだっていう表明なんだろうか?
 この本におけるシチュエーションは最初わかりにくくて、いくつかの?マークを抱えながら読み進めていくことになるんだけど、それはひとえに言葉少なに語りかけてくるからであり、一つのエンターテインメントとして考えた時に、それは悪くなかった。鉛筆画も、絶妙に足りない感じが心地よい。でも、京都に住んでいた・いるという特殊な人を除くと、あまりにも語りが弱いんじゃないか(それは上にあげたように言葉少なという意味ではなくて、物語の駆動力とか、読者を小説の側にひきつけておく力として、京都という場所を余りに安易につかっているんじゃないかなということ)と思った。女の子が好きそう。

いつか、僕らの途中で

いつか、僕らの途中で