フルタイムライフ

 芸術系の大学を卒業した後、なんとはなしに食品包装機器メーカーに就職した女の子の日常を綴った本だが、読んでみて、やはり僕は柴崎友香の書く文章が好きだなと改めて思った。
 それは前にも書いたとおり、退屈でのっぺりした日常を主人公が生き抜いているからで、この本にの一部を以下に抜粋する。

 こうやって体を動かしたくなるような音に任せて揺れている間に、ぼんやりとさっきのイギリス旅行の話とか樹里がりょうちゃんを連れてきたときのことや明日起きてからなにをするかっていうことを思い浮かぶままに考えるのが、とても好きなんだと、こういう場所にいるときはいつも思う。(中略)わたしは、こうやって篤志を見ているのも好きだし、今日みたいに準備から手伝ったりフライヤーを作ったり、そしてこの音の中にいることも好きで、その好きなことをちゃんとできている。会社に行って仕事をして、毎月給料ももらってボーナスももらえて、どれでもなんでもっていうわけじゃないけど好きな服も買えるし、イギリスに旅行に行こうかとも思っている。それはとてもいいことだと、たぶんわたしは知っている。必要なのは、なにかするべきことがあるときに、それをすることができる自分になることだと思う。桜井さんみたいに。樹里と篠田くんとTシャツを作るのも楽しそうだし、また明日会社に行って桜井さんや長田さんと仕事しながら組織改編に文句をつけたりするのもきっと楽しい。きっと、それでいいと思う。

 ここに書いてあるのは主人公春子の心の中での動きで、最後に、きっと、それでいいと思う。で終わっているけども、それは代わり映えのしない日常に対するあきらめとかではなくて、もっと肯定的な何かで、上手く書けないけれども、日常とはそういうものだと受け入れているんだと思う。彼女は大学時代の友人とユニットを組んで作品をつくったりしているけども、会社に勤めていることに耐え難い不満を抱えているわけではなく、むしろ、楽しさすら感じている。以下に古谷利裕氏の言葉を借りる。

 主人公は、このふたつの異なる場を、ほとんど同一の視線で眺め、同一の手触りで触れ、同一のテンションで関わる。この主人公にとっては、例えば、本当はデザインがやりたいのだけど、生活のために事務職をしている、というような「夢と現実」みたいな対立はなく、どちらも同等に重要な「現実」であるのだ。これこそがこの小説のもっとも美しい事柄の一つだと思う。

フルタイムライフ

フルタイムライフ


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