タクシードライバー

 火曜日の夜中にやっていたので録画して観た。町山智浩ヴァージニア工科大の事件との相似性を指摘しているように(d:id:TomoMachi:20070419)非常にタイムリーでもある。もう何回目だろう、この映画は自分の中でトップクラスに好きだったはずなので、しばらく観てないうちに神格化していたけど、観てみると多少物足りない感もあった。
 とは言っても、ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスの孤独感と閉塞感と正義感にはすごく共感できて、自分というものの危うさを露呈され、考えさせられるというか確認させられる。
 たぶん他の人が何十回何百回言っていることだろうけども、この映画はテレビのニュース番組と対極にある。それはニュース番組が凶悪事件の犯人の犯人たる家庭の事情やら性癖やら精神疾患やらという理由を探し、それを伝え、ニュースの視聴者に対して、犯人はあなたと違う種類の人間であるという線引きをして、凶悪犯人と善良市民を区別したがるのに対して、この映画は、英雄と凶悪犯人は紙一重でもののはずみであり、凶暴な殺戮者と観客との間に境界なんて存在せず、お前もいつ犯罪を犯すかわかんねえぞと突きつけるからである。そして、トラヴィスに共感していた観客たち(人生うまく行ってる人は共感しないだろうけど)はその意味を自分に問い掛けることになって、自分の底にある汚い恐ろしいものの存在を再確認させられるわけだ。
 考えると当たり前のことを当たり前に言っているだけの映画だけど、やはり嫌いじゃない。猟奇的な事件の原因を外側に探し続けるうちは、世の中変わらない。
 そして、この映画に影響を受けたであろう容疑者は明らかにスコセッシのメッセージを受け取れていない。