日本語ということば

 d:id:mellowmymind:20070515を読んで興味を持ったので読んでみた。
 中高生を主な対象として編集してあり、小学生でも読めるようにふりがなまで振ってある本で、童話を読んでいるような違和感と読みやすさが同居する感じだった。内容に関してはなかなかに興味深いというか、表題どおり日本語の可能性であるとか、特性であるとか、そんなのに興味がある人なら読んで悪くないでしょう。広告批評を立ち読む時は、橋本治の「ああでもなくこうでもなく」を読んでみようと思ったし、寺山修司はやはり上手いなと思ったり、色々と読みどころがある。ただ、言語学だけはさすがに厳しいんではないかと思った。
 で、上のはてなダイアリーのエントリで触れられていた、メインディッシュたる、『「あまえる」ということについて』なんだけど、これは確かによくできてる。内容については上のエントリに詳しいのでここには書かないで、以下には僕が思ったことだけを自由気ままに書く。
 何よりもこの子の言語化能力がすごいということ。セロひきのゴーシュを下敷きに自分の幼稚園時代の経験と照らし合わせながら意見を述べているんだけど、この幼稚園時代の自分の心の機微に対する理解の深さとその言語化の緻密さが半端なくて、もちろん両親と教師の助けを借りて書いたんだろうけども、それでもすごい。深夜の馬鹿力なんかを聞いていてもたまにあるんだど、何か心の細かい手触りまで再現してしまう言葉に触れたときに、自分自身(俺のことね)の心の扉が開くというか、数十年生きてきたことで記憶の積み重ねの中で下の方に埋もれてしまっている保育所時代や小学校時代の自分のエピソードが甦るということが起こる。この『「あまえる」ということについて』もかなり鋭い観察を自分の過去に対して行っていて、それに引っ張られて自分の過去も引っ張り出された。こういうことって(僕だけかもしれないけど)結構気持ちがいいもんで、自分という、このしょぼくれた野郎にも生きてきた分の物語の蓄積を持っていて、そしてそれは他人も同じはずで、56億だか60億だかすべてに物語があって、しかも人間以外の動物やモノや時間にも物語があってと一人勝手に妄想しているのが楽しかった。
 そして、この『「あまえる」ということについて』というのが、文章として小説のように成立していて、読み物として単純に完成度が高かった。書簡体の小説の一部として十分いける背骨を持っていると俺は勝手に思った。
 ただ、最後の『わたしのしごとは、・・・』からは明らかに子供特有の演技が入ってて実に詰まんない。たぶん、先生と母親にコビ売っちゃったんだろうな。わかるけどね、その気持ち。でも、ダメなものはダメ。

日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)

日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)


 ついでにセロひきのゴーシュ読んだけど、これであそこまで広げて、考えて、文章化するってのは小学2年生とは思えない。というか子供なめちゃダメだね。ちなみに初めて読んだけど、セロひきのゴーシュはいい感じの温度でしたよ。
童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)

童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)