となり町戦争

 三崎亜記のとなり町戦争。硬い乾いた感じの文章で、なんか個人的に久しぶりな文体だったので目新しかった。
 実体が見えてこない戦争の始まりから終わりまでを、圧倒的に外側から、注意深く間接的に描いてあって、つかみどころがない、けど確実に存在している(はず)という不思議な浮遊感と重たい雰囲気とにどっぷり浸かった。こう書くとものすごくつまらなそうなのだけど、ちゃんと恋愛にも似た関係を絡ませてあったり、それなりに読み手にサービスはしてあって、飽きることはなく、むしろ一気に勢いで読めてしまうような、そんな小説だった。
 正義であるとか、実体の見えない、けど存在している(はずの)ものに対する想像力であるとか、そんなものをぽわ〜んと思い浮かべつつ読んだのだけど、これって難しいよなと。正義の描き方に関しては作者に同意するのだけど、この想像力ってやつはなかなかやっかいなやつで、確かに今、日本のような平和じみた国のまあ一般的に平和な地域で生活している私のような存在でも、米軍に協力的な国に対して税金を収めているという形で、間接的に戦争に参加していると言えるし(言い過ぎならば、関係ないとは言えないという表現でも構わない)、この比較的(少なくとも物資的には)豊かな生活を送る上で、発展途上国(主に中国だろうが)の労働者たちの賃金を買い叩き、物価が抑えられているということで、他人を苦しめていると言えるだろう。そして、私は客観的に見て、そういう間接的な事柄に対して比較的に自覚している方だと思っている。この小説中では人物たちは自覚的であろうとする。で、自覚していたら誰かは救われる?誰かが喜ぶ?何かいいことがあるのだろうか?きっと誰も救われないし、喜ばないんじゃないかな。むしろ想像によって不快になることで、世の中の雰囲気を悪くするというマイナス結果だけが残るんじゃないだろうか。なんて言い方もできて、想像力があるということは絶対的に善とは言えないわけで…。結局何も言えないという無意味な駄文。

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)