そして父になる

 是枝裕和のそして父になる。相変わらず映画館が土曜日にもかかわらずガラガラなんですが、大丈夫なんでしょうか、この地方。
 ちょっと難しかった。母は産んだ時にもしくは宿した時に母になるけども、父はいつ父になるのでしょうかということだろうか。
 言わずと知れた、息子の取り違えを題に取った物語。「生みの親より育ての親」とは言うけれど、血のつながった子と、6年間育ててきた子と、どちらを選びますかという(選択権は親の側にある)決断に迫られる。しかも一流企業(ゼネコン?)勤め・専業主婦の野々宮家と、しょぼくれた街の電器屋・弁当屋のパートの斎木家では、6年間育ってきた環境が全然違う。かたや都内の高層マンションに住んでレクサスに乗りピアノを習わされる野々宮家で、かたや前橋でくたびれた街の電器屋に住まい、嫁をパートに出さなければ生活できない斎木家である。
 病院で初顔合わせをした帰りの駐車場での車の対比や、ショッピングモールのフードコートで病院に着ける領収書を書いてもらうところなど、何度も何度も示される。
 経済状況もさることながら、子育てへの取り組み方もまるっきり異なる。多忙ゆえ妻のみどりに任せっきりだけども才能はないピアノを習わせ私立小学校受験をする野々宮家と、職場兼住居で四六時中子供目線で戯れながら育てる斎木家では、育ちが違いますと。そういうシーンが積み上げられる。
 何の結論も出ない。当たり前ながら。問題が発生して、ずっと続く。かなり端折りながらだけど、野々宮良多自身の親への葛藤も現在進行形の形で提示される。何も救われないけど、親がしっかりしなければいけない。生きていかなければいけない。そういう苦しさを受け入れて生きていくことを決意して映画は終わる。私には難しかった。要素が映画中にちりばめられていたせいもあるけれど。

 プロモーションでもろもろTV出演していたどれかで聞いたのだと思うのだけど、冗長になることを徹底して拒否しているようだった。この映画も、時間の中での情報が密で、重複が省かれているがゆえに、ついて行ききれなかったのかなと思う。

 どこかですでに語られていたとおり、裁判所にて瀧の顔がパンされて現れた時に、凶悪のイメージを思い浮かべた。ついでに笑った。
 あと、良多って名前好きなのかな?
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