ディストラクション・ベイビーズ

 真利子哲也監督のディストラクション・ベイビーズ。チケット最後の1枚で滑り込んで最前席で。
 ケンカが生きる目的そのものであり、殴られて痛みを感じることが生きることそのものであり、ケンカしがいのある人間を見つけるために街をほっつき歩き、ケンカをふっかけ、勝つまで執拗に追いかける、泰良。
 気が小さく、一人では何もできないものの、虎の威を借りつつ何かでかいことをやってやりたい、具体的には自分よりも弱いものを痛めつけ、優越感を満たしたい、裕也。
 どこか満たされない気持ちを抱えつつも、自己中心的に強かに生きる那奈
 そして泰良の弟、将太。
 柳楽優弥演じる主人公泰良には全く共感できなかった。おそらく映画を劇場に観に来るような人間には、共感できるところなど、ない。上に記したように、彼の狂気には論理がない。だから避けようがない。まるで天災のようなものだ。怖い。ある程度年齢を重ねた人間であれば、ルールや論理が通用しない人間が存在することを知っているだろう。彼だ。悪魔だ。純粋な狂気。
 印象的なシーンがある。殴られ痛めつけられるときに、彼は無邪気に笑顔を見せる。心からうれしいのだ。ありきたりな言葉だが、痛みを感じることで自分の生を実感している、そのものの表情。ケンカをふっかけられる人間を含め、彼以外の全ての人間とは価値観が違う。彼以外は皆、痛いのは嫌だから。彼以外は皆、殴られ痛めつけられると顔をしかめるのだから。
 もう一つ印象的なシーンがある、小松菜奈演じる那奈が反射的・衝動的に人を殺めた直後に彼女に問いかけた“どやった?”極めて無邪気に、“気持ちよかったやろ?”と聞きたいのだ。彼は、他人も皆、暴力=快楽だと思っているのだ。

 他、菅田将暉演じる裕也の卑劣で人間が小さい様、小松菜奈演じる那奈のやるときはやってしまう強かさ、ちょい役で出てくる池松壮亮演じるキャバクラ店長の切れ味鋭い感じ、いずれも生々しく、松山に近づきたくない思い。

 三津浜の波に揺られ、不安定な画面が印象的な冒頭と対照的に、終盤の海は静かで、夕暮れだった。
 しかしながら、この狂気を追い続けるこの物語は最後においても、閉じていない。狂気は殲滅されない。この世の中に在り続ける。

 監督の意図通り、不快な映画だった。
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