個人的に考えていることとして、恋愛というのは、生殖を目的としたプロセスとしてのゲームではないかと、そう考えている。
君の名は。を称して、東浩紀が
ひとつ繰り返しておきたいのは、あの作品は運命の相手と結ばれる作品では【なく】、なぜ人々が運命の相手がいると思い込んでしまうのか、その理由こそが語られた作品だということです。この読みの背景には「ゲーム的リアリズム」があるのですが・・でもこれもツイッターでは説明不可能ですね(笑)
— 東浩紀 (@hazuma) 2016年9月4日
のように語っていたけど、そういうことを、もうちょっと冷ややかに見ている。