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永い言い訳

 西川美和永い言い訳。エグゼクティブシートで。

 早い話、演出の失敗だと思う。役者の表情に頼るシーンが多いのに、役者の表情から放たれる情報が少ないと、そう感じた。

以下、これは・・・シーン

  • 竹原ピストル演じる大宮と周りのやり取りは、おそらく“大宮は何気なく振る舞っているのに、周囲には怖がられてしまう”という表現をすべきなのに、竹原ピストルが普通に凄んでしまっている。何度か。
  • トレーラー等によく使われている、残された大宮家と幸夫で砂浜で遊ぶシークエンスで、想像上の夏子が戯れるという表現はくどい。浜辺に戯れる家族・前後のやり取り・海を見つめる幸夫、の3点セットで十分表現したいことは表現できているはずで、あそこで夏子が現れるのは単純にくどい。
  • 大宮家と幸夫の関係が終わる直前の、夏の終わり・死にそうなセミ(宇野常寛言うところのセミファイナル)・シャボン玉、というあんまりに安直でこれ見よがしなメタファーはくどい。やり過ぎ。

他にもあったけど忘れた。

 西川美和は、小説家に寄ってしまったのではないだろうか。公式パンフレットに、永井言い訳は映画化を前提というくびきを外して、書きたいように小説を書いたというようなことが書いてあったが、それはつまり小説家としての才能の方が、映画作家としての西川美和の才能を超えてしまったのではないかと、そう思ったのです。

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