ひとりずもう

 久しぶりに、目を潤ませながら、読んだ。

ひとりずもう 上―漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 上―漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 下 漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

ひとりずもう 下 漫画版 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

幕が上がる

 平田オリザ原作、本広克行監督、幕が上がる。プライムビデオに来たので待ち構えて観た。演劇に対する本広克行の愛が詰まっていた。
 弱小高校演劇部に“学生演劇の女王”が接触することで、演劇部もそしてかつての女王も人生を変えられてしまう。そんな物語。
 冒頭記した通り、本広克行の演劇に対する思いがビンビンに伝わってくる。映画もあり、小説もあり、数多劇を見せる手段がある中でも、演劇って素晴らしいものだと思わされる。少なくとも本広克行はそう強く信じている。
 本作には「肖像画」という即興劇が出てくる。物語上、本来は、学生演劇の女王だった黒木華肖像画を演じたところが眩いほどの魅力でなくてはならないのだけど、残念ながらこのシークエンスは心に響かない。ただし、ももクロちゃん達演じる弱小高校演劇部員たちが演じる肖像画のシークエンス。これは素晴らしい。一気に惹き込まれた。
 同時に演劇に囚われた人間の業をも描き出す。演劇は魅力的であるがゆえに、蟻地獄のように人間の人生に取り付いてしまうようだ。
 黒木華は横顔が魅力的。
 平田オリザの演劇についての知識があるとさらにちょっと楽しい。セリフの意味が増す。想田和弘監督、演劇1演劇2も観てから観るとよろしい。

幕が上がる [DVD]

幕が上がる [DVD]

演劇1・2 [DVD]

演劇1・2 [DVD]

内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える

 水戸芸術館で催されている、内藤礼の個展。訪れる価値はある。が、豊島美術館の方がよりいい。
 「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに私も会場を歩いた。白い塗り壁、グレーに塗られた壁に反射して、部屋を明るくする日の光。人間の動きや息で揺れさざめく糸・ビーズ・風船・水面。これが後から考えると仕掛けであった。
 順路の後半になるにつれて窓がないゆえに隣の部屋から漏れる光で視界を確保する中、前半と同様の小品の展示が続く。1カ所だけ小さな小さな小窓が設けられていて、きらびやかな光が射し込んでいる。惹かれるものの、ベンチに座り側に待機しても、私には天啓は降りてこなかった。
 しかし、最後の部屋に向かう私を一筋の強烈な光が照らす。LEDチップを集積した発光体だろうか?と訝しんで近づく。それは小さな鏡だった。その光は最初の部屋の白壁に反射した、太陽の恵みであった。これまでの順路で周到に導かれた心持ちとこの部屋を回想する。全てが天から与えられたものであった。薄暗い部屋で発光体のように見えるその光も天から与えられたものであった。長い人生の中で慣れきってしまい、特に周囲が明るいと全くありがたみも感じない日の光は、こんなにも強烈なものなのだ。私達はこれを天から与えられ続けてきたのだ。ひととおり思いを巡らせていると、込み上げてくるものがあった。私達は、それそのものとして祝福されているのだ。そう感じた。
水戸芸術館|美術|内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える

 でも空間としての心地よさは、豊島美術館が上。川や海。流れる水(のようなもの)を我々はどうして偏愛してしまうのか。

タイニー・ファニチャー

 レナ・ダナムの原点タイニー・ファニチャー。イメージ・フォーラムにて。
 大学で映画理論を修めたところで仕事が降ってくるわけじゃない。オーラは、売れっ子写真家の母と容姿端麗前途有望の妹が住まう実家兼仕事場に舞い戻る。鬱屈とした思いを抱きつつ、ビストロの受付を仕事にしてみたり辞めたり。幼なじみのエキセントリック芸術肌に振り回されたり、妹のホームパーティどんちゃん騒ぎにイライラしたり、支離滅裂に母と妹にキレて苦笑されてみたり。何者でもない若者の焦りと衝動ともろもろとが描かれる、そんな映画。
 冷静な言葉と視線を投げかけつつも、母の心は優しくオーラに寄り添う。最後の母娘のダイアログは感動的だし、この作品の全てであろう。見始めたら最後、途中でつまんねーなーと思っても、最後のダイアログまでは観ましょう。そこで取り返せるので。
 観る前に情報入れ過ぎなのは否めないのだけれど、母役、妹役が、実の母・妹で、しかも容姿が割と似ていないというのが小道具的に効いている。妹のすらっとした身のこなしは、姉との対比が鮮やかで、素晴らしい。
 ただし作品としては、まだエントリ書いてないけど、GIRLSの方が遥かにおすすめ。タイニー・ファニチャーとGIRLSを比較することで、プロデューサーがつく意味がよくわかった。遥かにウェルメイドで主題が研ぎ澄まされている。本作で才能を見出し、GIRLSとして結実させる仕事。
 まずはGIRLSを観るべし。ジェマイマ・カーク、アレックス・カルボウスキーも観られる。
www.tinyfurniture-jp.com

きみはいい子

 呉美保監督のきみはいい子。プライムビデオで。結構よかった。

  • 学級崩壊やモンスターペアレント(まがい)と相対する新任小学校教師・岡野
  • 自分のトラウマにもとらわれ、娘へ虐待を止められない主婦・雅美
  • 戦争時のトラウマを抱えながら一人で生きてきて認知症を患いつつある老婆・あきこ

この3人(同じ街に住むのだけど、お互いはお互いをモブとしてしか認識していない)を軸とした群像劇。

 もう2度と自分に決定権がなく環境を変える力もないあの頃には戻りたくないなと思わせてくれる小学校学級シークエンスや、抑制の効いた演出(雅美が時計を必要とするカットや虐待された次の日は学校に行かせてもらえなかった・・・の件など)、つなぎでフックをつくっておいて次のシーンで拾う脚本の巧みさなど、観ていて満足感があった。

 最後の終わらせ方は、賛否あるのではなかろうか。私は救われた神田さんが観たかった。

きみはいい子 DVD

きみはいい子 DVD

 

片桐仁 不条理アート粘土作品展「ギリ展」

 19年も続けるということは、こういうことなのか。そう、圧倒される物量。もちろん締め切りに間に合わせるために、クオリティにムラがあることは否めないのだけど、「お仕事」以上の過剰であふれ出てしまっている意欲や衝動が形になっている。一方で、ブレない癖もあって、目への執着、人間の顔の造形への執着、人間の手足の造形への執着、男性器への執着、なぜか付けたくなって明らかに余計なのに付けちゃう。
 これが、創る人の業なのかと、その実を叩きつけられた思いです。
 私個人の趣味としては、よりその衝動が色濃くにじみ出てしまっている初期作や、異様にディテールにこだわってしまっているいくつかの作品(ノリにノッてしまっただろうな…)が好き。でも、家には要らない(笑)
片桐仁 不条理アート粘土作品展「ギリ展」

Ascending Art Annual Vol.2 まつり、まつる

 市原えつこ、久保寛子、スクリプカリウ落合安奈、桝本佳子の4人展。青山にて。

 スクリプカリウ落合安奈の作品は写真もしくは撮影・映写に関わるもので、その中に時間や空間の概念を取り込んだものだったけれど、私の興味はあまりひかなかった。

 桝本佳子の作品は割とオーソドックスな形状の陶器と山川草木や動物が融合したようなかたちをした陶芸たちで、心惹かれるものではあったけども、考えさせられるものではなかった。(私にとって)

 久保寛子の作品は、5cm間隔で鉄筋が溶接された粗メッシュのようなもの(建築資材?)で面構成を行って、人間の顔や人間の足をかたどったもので、その大きさと大胆なデフォルメ感に心惹かれるものがあった。

 とはいえ、本展で最も素晴らしかったのは、市原えつこの作品だった。『デジタルシャーマン・プロジェクト』、『都市のナマハゲ』、3Dプリントでつくられた縄文土器に向かい、家庭用ロボットが祝詞(のりと)を読み上げる新作プロジェクトの3つが展示されていたが、都市のナマハゲはさほどピンと来ず、デジタルシャーマンもそれなりだったのだけど、新作プロジェクトはかなり思考をかき立てられた。

 シャーマンや祈祷の類は先入観として伝統的で、時代遅れのものという理解をしていたのだけど、それは私の偏見であると認識させられた。シャーマンや祈祷師は、別に翁や長老や老婆がしなくてもよいのである。シャーマンや祈祷に宿っている、人間が本質的に求めるもの(それは宗教に人間が求めるものと近いのだろう)を抽出して、それをテクノロジーで形を与えてやればよいのである。その具現化が上述のプロジェクト、そう私は理解した。

www.spiral.co.jp

www.cinra.net

 

正しい日 間違えた日

 ホン・サンス正しい日 間違えた日。DVDになるかわからんからスクリーンにて。
 私にとって、ホン・サンスの映画は少女漫画的な楽しみなのかもしれない。
 この作品に限らず、ホン・サンスの映画では何が達成されたかには重きが置かれない。つまり少年漫画的ではない。この作品でも、「だらしない既婚の映画監督が訪れた水原で、美しい女性と出会い、彼女と恋をし、そしてその恋は報われない」これだけで説明できてしまうことしか起こらない。本作は2部構成になっていて、対照して楽しめる、それだけのことだ。
 ところが非常に面白い。心を揺さぶられる(とはいえ、上映中、よく寝てしまうのだけど)。これは、何をなすかではなく、どう生きるか(どう生活するか)に私の興味が移ったためであろう。そして、ホン・サンスの映画にはどう振る舞うかしか描かれない。それのみを時間いっぱいを使って描き続ける。
crest-inter.co.jp