メディア芸術祭受賞作品展

↓という形でも話題になってしまったwatageを観に行った。
展示作品の取り扱いと紛失についてのお詫びと今後の対策 – 文化庁メディア芸術祭

展示会場内は5~6人制限?となっており、ちょいと並ぶ感じ。
数分ならんで会場へ。触ったり息を吹きかけたりは禁止だが、写真撮影は可。
5作品が配置されていて、思い思いに眺めたり、写真を撮ったり。

綿毛はメディア(媒体)足りえるのだと理解した。会場の空気を反映していた。
festival.j-mediaarts.jp

三度目の殺人

 是枝裕和監督、三度目の殺人。プライムビデオで。面白くは、なかったかな。
 殺人を犯したと自供した三隅。弁護を引き受けた重盛。被害者の娘、咲江。3人を軸に物語が展開される。
 
 筋を二転三転させるとともに、我々が通常信じている「真実」の危うさを突き付けてきて、制度として真実の追及に寄与するはずの弁護人も検察官も裁判官をも相対化してしまう。
 確かに是枝のやりたい、ドキュメンタリーでは描けないことが描かれているし、「正しい」。でも、面白くはないんだよな。そりゃそうですよねという感じで、主張に新鮮味がないというか。
 重盛の見る夢の世界や、面会室で、重盛と三隅は抽象的な意味で同一化して描かれたりするわけだけど、共通点が「娘にすまないことをした」くらいでは、観客としても感情移入できないというか。

三度目の殺人

三度目の殺人

それから

 ホン・サンス監督、それから。DVDで。
 モノクロ。
 愛人が退職し去った零細出版社社長の下に、新たに働きにやってきたキム・ミニ演じるアルムが、社長夫人の勘違いからビンタされたりなんだり。
 神や信仰についての会話劇だった。
 2つの時制(アルムがやってきた今、と、社長の回想だろう過去)が並行して描かれるのだけど、時制が交わったかのように見せるシークエンスが用意されており、WOWとなる。
 最後のシークエンスでタイトルの意味が語られる。読み直そうかな。

それから [DVD]

それから [DVD]

大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋

 MIHO MUSEUMにて「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」
 曜変天目どころか、この企画展自体が30分だか1時間だか待ちが必要になる有様。
 自家用車で行くなら、閉館ギリギリくらいに曜変天目に並ぶと、企画展は並ばないし、数分待ちで曜変天目が見られる(閉館時間は多少融通してくれるがバスの時間は融通利かないので)。当然、企画展の他の展示品もたくさんあるので、落ち着いて見れなくなるのが難点ですが(まあ落ち着いて見るのはどうやっても無理でしょうね)。
 まあ、曜変天目は、きれいでしたよ。別途展示されている油滴天目や、常設展の方で展示されている耀変天目よりも、神秘的で「いわく」を感じる。

 でもね、やっぱりMIHO MUSEUMは常設展こそが主役。今回も、あれだけ並ぶ曜変天目も常設展の展示品には叶わない。だって3000年とか前のレリーフとか宝物みたいなのがありがたみも薄目で展示されているんですよ?エジプト・ギリシア・ローマ・西アジアは本当にすごい。石や金属の文化圏は残ってうらやましい。中国は素材のせいで時代が新しいのかな(といっても1000年前とかですが)。
www.miho.jp

愛がなんだ

 今泉力哉監督、愛がなんだ。平日午後3時で満席というすごみ。
 岸井ゆきの演じるテルコを主人公として、テルコが思いを寄せるマモル、テルコの親友葉子、葉子に思いを寄せるナカハラ、マモルが思いを寄せるすみれを中心に(といっても、前半体感99%テルコの表情がスクリーンに映し出されていたが)描かれる。
 上に「思いを寄せる」が3度登場する通り、矢印は行き違う。そして、思いの非対称性が相似形であったり、鏡像であったり、お互いの関係性にもフィードバックされたりする。
 テルコはどこにも行きつかない。テルコは、逡巡こそするものの、テルコであり続ける。中盤、鏡像のように描かれたナカハラとは決定的に異なっていた。では「テルコ」とはなんだ?そして、テルコがマモルに寄せる思いとはなんだ?
 狗飼恭子が↓と言っていたが、


なるほど、ホラーとして捉えれば、いろいろ腑に落ちる。
 この映画のヒットに伴い、筒井真理子片岡礼子にもっと陽が当たるようになるといいなと心から思う。
 愛がなんだってんだよ!
aigananda.com

次の電車があと何分で来るか分かるガジェットをM5stackで作ってみたい

qiita.com
github.com

↑を作ってみたいのだけど、AWSのアカウントをつくったところで死んだ。
ソースコードが公開されていても、AWS Lambdaにどうやって書くかがわからん。

インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史

 埼玉県立近代美術館にて。
 思ったよりは刺激が少なかった。黒川紀章のHelixが飛びぬけて「impossible」だったけども、まあぬるま湯な展示が多かった印象。
 個人的には、岡本太郎の「僕らの東京都設計図」を見て、昨年の表参道での会田誠の個展「GROUND NO PLAN」を想起したのだけど、ちゃんと最後に回収されていて、まあそうだよな感を持った。ザハ・ハディド案とか別に「impossible」じゃないし、impossibleの定義はよくわからなかった。
 模型の作成にクレジットされている建築系研究室の学生たちは地獄を見たんだろうか?そっちのエピソードの方が「impossible」感があったりしないだろうか。
www.pref.spec.ed.jp

cf.
www.obayashifoundation.org