中谷ミチコ その小さな宇宙に立つ人

 美術館的にはメインであろう「デンマーク・デザイン」展もそこそこに、三重県立美術館は柳原義達記念館にて。
 越後妻有のトリエンナーレもあったし、この後東京で個展もあるようなので、作品づくりにいそしんでいたのであろう。予想よりも作品は多く展示されており、美術館側の用意した資料の番号振りで22点。まあ、場所も場所なので、人も少なめで、落ち着いてたっぷりと鑑賞した。
 今回の展示の作品は大きく2つに分かれる。(部屋も分かれている)
 カラスの方は、彫刻の深さが、色の濃さに翻訳され、美しい。
 もう片方は、少女たちのシリーズで、こちらについてここには書きつけておきたい。

 石膏を彫刻し、少女などを描いた上で、透明樹脂を流し込んで固めたこの作品群。基本的には、表現したいもの(=少女の姿など)と表現手法(=彫りこんでいく)にギャップがあり、無理がある。周囲に対して膨らんでいる腕を表現するために、石膏をより深く彫りこんでいかねばならず、周囲よりも膨らんでいる鼻を表現するために、頬や人中の部分よりも深く彫りこむ必要がある。したがって、表現しなければならない形状と、表現の手法とに大きな乖離が存在することになる。
 ゆえに、作品を観たときに、まずは違和感を持つ。先入観で持つ凹凸と作品の凹凸とが一致しないから。作品を観る角度によっては、見えるべきもの見えるはずのものが見えなくなってしまう。(例えば、犬同士か絡み合う≪接吻≫と題された作品は、成立する角度範囲が狭い)
 しかしながら、作家はそんなことは百も承知。陰影を用いて、立体を立ち上げようとしてくる。上述した通り無理があり、観る角度によっては作品が成立しないのだけど、作品の周りをうろつきながら(角度を変えながら)鑑賞すると、(もしかしたら長いこと鑑賞して脳が慣れたのかもしれないが)あら不思議、ある範囲で立体が立ち上がってくる。理屈では凹になっていることが分かっているのだけど、目から受け取った情報は凸になっていて、面白い。また、樹脂の屈折率の妙なのか、作品の少女の顔を角度を変えながら眺めていると、独特の視線が追いかけてくるように見えて、面白い。自分なりの作品への向き合い方を見つけると、自分なりも面白がり方がつかめて、いい体験だった。

 この表現の特徴として、

  • 表面が平滑なので、照明の角度次第でグレアが発生する
  • 樹脂の屈折率に左右される

ことがあげられる。作品表面をアンチグレア加工する、屈折率の異なる樹脂を用いて屈折を巧みに操るなど、さらなる進化がみたい。
 あ、デンマーク・デザイン展は、まあデンマークのデザインが多数見られますよ。
www.bunka.pref.mie.lg.jp
www.bunka.pref.mie.lg.jp

みらいめがね

 荻上チキのみらいめがね。
 (ちょうどメディア芸術祭受賞作品展でWatageを観たばかりなのであれを思い浮かべるのだが、)極めて繊細な心を持った荻上の思いや憤りや迷いやその他心の動きを、極めて素直に書き連ねたエッセイ。長いこと彼のラジオを聞いているつもりだけど、ラジオでは語れなかったような極めてプライベートな内容についても触れられていて、あまり巧みな嘘がつけないようなそんな人柄を思い浮かべる。
 私も小学生くらいの頃は、これくらい傷ついたりしていた記憶が思い出されたのだけど、どこかに放り投げて毎日を過ごしている、そんな幼いとも形容できるかもしれない心持ちが書かれていて、もともと持っていた好感をさらに強めた。
 読みやすかった。

みらいめがね それでは息がつまるので

みらいめがね それでは息がつまるので

イカとクジラ

 ノア・バームバック監督イカとクジラNetflixで。
 父母兄弟の4人家族。父はかつての名声はどこへやら、ちっぽけなプライドにすがり世をすねながら大学で教員をしている。母は飛ぶ鳥を落とす勢いの作家である一方、恋愛体質であり浮気を繰り返しているようだ。そんな両親の離婚が決まり・・・というお話。
 イカとクジラのエピソードが最後に(も)登場し、これは兄ウォルトの物語であったと、最後に明かされる。彼の成長の物語。
 成長に伴い、絶対であった親は相対化される。そのメタファとしてイカとクジラのエピソードは使われる。最初は怖くて見られなかったけども、母の語りを聞いているとだんだん聞いていられるようになり、今では目の前で対峙している。そういうことだと理解しました。
 絶対服従から、醜態を見ながら相対化していき、アドバイザーの一人になるのかな。

イカとクジラ [DVD]

イカとクジラ [DVD]

山中研究室プロトタイプ展2019とぞわぞわ

 1年ぶりに東大駒場キャンパスへ。
 去年観たものも多かったわけだけど、スプ子先生がそういえば先生だったなと思い出したり、Clockoidが滑らかで、デンソーの実力を見せつけられたり。
www.design-lab.iis.u-tokyo.ac.jp

メディア芸術祭受賞作品展

↓という形でも話題になってしまったwatageを観に行った。
展示作品の取り扱いと紛失についてのお詫びと今後の対策 – 文化庁メディア芸術祭

展示会場内は5~6人制限?となっており、ちょいと並ぶ感じ。
数分ならんで会場へ。触ったり息を吹きかけたりは禁止だが、写真撮影は可。
5作品が配置されていて、思い思いに眺めたり、写真を撮ったり。

綿毛はメディア(媒体)足りえるのだと理解した。会場の空気を反映していた。
festival.j-mediaarts.jp

三度目の殺人

 是枝裕和監督、三度目の殺人。プライムビデオで。面白くは、なかったかな。
 殺人を犯したと自供した三隅。弁護を引き受けた重盛。被害者の娘、咲江。3人を軸に物語が展開される。
 
 筋を二転三転させるとともに、我々が通常信じている「真実」の危うさを突き付けてきて、制度として真実の追及に寄与するはずの弁護人も検察官も裁判官をも相対化してしまう。
 確かに是枝のやりたい、ドキュメンタリーでは描けないことが描かれているし、「正しい」。でも、面白くはないんだよな。そりゃそうですよねという感じで、主張に新鮮味がないというか。
 重盛の見る夢の世界や、面会室で、重盛と三隅は抽象的な意味で同一化して描かれたりするわけだけど、共通点が「娘にすまないことをした」くらいでは、観客としても感情移入できないというか。

三度目の殺人

三度目の殺人

それから

 ホン・サンス監督、それから。DVDで。
 モノクロ。
 愛人が退職し去った零細出版社社長の下に、新たに働きにやってきたキム・ミニ演じるアルムが、社長夫人の勘違いからビンタされたりなんだり。
 神や信仰についての会話劇だった。
 2つの時制(アルムがやってきた今、と、社長の回想だろう過去)が並行して描かれるのだけど、時制が交わったかのように見せるシークエンスが用意されており、WOWとなる。
 最後のシークエンスでタイトルの意味が語られる。読み直そうかな。

それから [DVD]

それから [DVD]

大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋

 MIHO MUSEUMにて「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」
 曜変天目どころか、この企画展自体が30分だか1時間だか待ちが必要になる有様。
 自家用車で行くなら、閉館ギリギリくらいに曜変天目に並ぶと、企画展は並ばないし、数分待ちで曜変天目が見られる(閉館時間は多少融通してくれるがバスの時間は融通利かないので)。当然、企画展の他の展示品もたくさんあるので、落ち着いて見れなくなるのが難点ですが(まあ落ち着いて見るのはどうやっても無理でしょうね)。
 まあ、曜変天目は、きれいでしたよ。別途展示されている油滴天目や、常設展の方で展示されている耀変天目よりも、神秘的で「いわく」を感じる。

 でもね、やっぱりMIHO MUSEUMは常設展こそが主役。今回も、あれだけ並ぶ曜変天目も常設展の展示品には叶わない。だって3000年とか前のレリーフとか宝物みたいなのがありがたみも薄目で展示されているんですよ?エジプト・ギリシア・ローマ・西アジアは本当にすごい。石や金属の文化圏は残ってうらやましい。中国は素材のせいで時代が新しいのかな(といっても1000年前とかですが)。
www.miho.jp