能/狂言

 どちらも日本の伝統芸能というくくりでまとめられてしまうので、敷居が高くなってしまっているが、能だって狂言だって、特に狂言の場合は、そもそもそんなに敷居の高いものではなく、観客のものだったはずで、今日人生で初めて観てみてその思いを強くした。
 狂言はただ単純に面白さがあって楽しめたのだが、能の方は、それぞれの動作が、昔は意味があったのだろうが、今となっては形式といった感じになっているものがたくさんあったように見えて(作法というものか。歩き方や話し方は想像もつくし、狂言でも同じようなものだったが、鼓を叩くときの掛け声とかは、まったく違う文脈で聞いたら爆笑したくなるような音で、実際吹き出した人もいた)、能が芸術として洗練していった過程の中で、そうなっていったんだろうなというような時間の経過が見えてしまって、目に見えない敷居というものを感じてしまった。
 まあ、どっちも入眠してしまったのが悔やまれる。
http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_notice/ippan/051207.htm