トリコロール/青の愛

 スクリーンというのは2次元平面で、おまけに面積も限られたものでしかない。そこに映し出したものを観客が観ることで、観客の中に3次元の世界を創造するには、スクリーンに映った映像だけで足りるものではなくて、もちろん観客の想像がその欠落の部分を埋めなくてはならない。作家たちは、スクリーンに映す画の切り取り方でもって、その想像を巧みに誘導するわけだが、この作品は特に前半において、被写体が画面からはみ出すように撮られていて、そんなことを考えながら観た。そして、言葉によらないコミュニケーションがコミュニケーションの多くを占めているのがリアルだとも感じた。
 人は自分を成している部分の多くを、突然にして、強引に奪い去られてしまったときにどうなるのだろうか。この映画世界の中で、1人の女性は厭世的になり、過去を全て捨て、過去から逃げていこうとする。実際そうすることはできるのだし、楽なのだろう。でも、本当の意味で全てから逃げるためには精神を壊し、病んでしまうしかない。それによって失うものは計り知れない。記憶が壊れていき死へ向かう母。テレビの画面に映るバンジージャンプをする老人(これは死の世界へダイブしているかのようだ)。子ネズミを産み生きている母ネズミ。そして夫の子を孕んでいる若い愛人。生と死を示唆する彼らとの交わりを経て、彼女は少しずつ再生していく。城の崎にてを思い浮かべた。
 

トリコロール/青の愛 [DVD]

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