大家さんと僕 これから

 矢部太郎の大家さんと僕 これから。
 ひたひたと迫る死の影。デフォルメされ戯画化されている漫画というメディアの魅力かなと思った。

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime

 国立新美術館にてクリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime。
 儀式的なものの文法?みたいな概念に思いを馳せるような、そんな展示だった。
 というのも、会場は一貫して荘厳そのもの。それが、形式によってもたらされていることは明らかなのだけど、では、その形式とは何か?
 会場が全体に薄暗く、証明としては灯りの色に近い電球を用い、展示の色が主に単色or淡色で構成されている。おそらく上述のどれもが、荘厳さに寄与しており、会場を儀式の式場的な空間たらしめている。
 作品そのものも遺影的であって、いかにも死を想起させるものなのだけども、上に記したような空間設計も死=>葬式を想起させ、結局作品は各々ではなく会場全体であり、文法というか形式というか、その全体なんだろうなと思うのでした。
boltanski2019.exhibit.jp

#009 WALKMAN IN THE PARK

 これはなかなかに心をえぐってくる展示だった。もう、ソニーは過去のレガシーを誇る企業であって、これから実現する未来を語る企業ではないんだろうなという印象を持ってしまった。
 メインは↓

My Story, My Walkman
1979年から現代まで1年ごとに区切り、実際にウォークマンを愛用していた各年代のアーティストやクリエイターなど総勢40名の著名人の方々に伺った思い出とともに、当時聴いていた楽曲をその年に発売されていたウォークマンで実際に楽しんでいただけます。園内を回遊しながら、各年代の機種の多様な変化とともに、40名40年分の音楽体験をご体感いただけます。

なけなしの小遣いを貯めて、わざわざ高いウォークマンを買った世代としては感慨深いものがある。
 以下、小言

  • シリコンオーディオ(死語)から始まっている子らとは心の深いところでは分かり合えない気がする
  • 本人が使っていたのと同じ機種で展示してほしい
  • Walkman Wallがたったの230台ということで、私のかつての愛機がない!

www.ginzasonypark.jp

『windandwindows|ウインドアンドウインドウズ』 蓮沼執太フルフィル × Ginza Sony Park

 ソニー様の誇るハイレゾサウンドで(音小さめに。周りにいろいろあるからね。)再現されるフルフィルのwindandwindows。その中を歩いて、各パートの音に耳を澄ませるというのもなかなかにいい経験でした。
www.ginzasonypark.jp

クレアのカメラ

 ホン・サンスクレアのカメラ。DVDで。ま60分ちょいだし、ホン・サンス風味を味わえるというだけかな。

クレアのカメラ [DVD]

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白昼のマスク / 夜を固める

 代官山のアートフロントギャラリーにて中谷ミチコ : 白昼のマスク / 夜を固める。
 この個展では薄く黒を混ぜたアクリル樹脂の立方体にモチーフが埋め込まれているような新作やドローイングも展示されていて興味深かった。
 新作も合ったにもかかわらず、もっとも印象に残ったのは少女と犬2匹の大きめの作品。樹脂の種類を変えたのか、作りたてだからなのか、樹脂の透明度が高く、かつ大きい作品だからそれが顕著にわかって、美しさが一段上だった。
 また、ドローイングを観て、個人的に持った感想としては、彼女にとって、水彩によるにじみやグラデーションとアクリル樹脂の深さによるグラデーションが同じものとは言わないまでも、近いところにあるものなんだろうなと思った。
 もっと樹脂の取り扱いに習熟してくると(縮みの理解など)もっと完成度があがってくるのだろう。樹脂を継ぎ目なく樹脂に埋めることには成功しているのだから、樹脂の屈折率を自在に操るような、そんな作品も見てみたい。
www.artfrontgallery.com

あいちトリエンナーレ

 混まないタイミングを狙って、平日にあいちトリエンナーレ愛知芸術文化センター名古屋市美術館と四間道・円頓寺と。
 総じての印象としては、小粒というか薄味のものが多かった印象。例の表現の不自由展・その後の影響で複数のKoreanの作品が抗議の展示中止がなされていたり、ちょっと残念感。
 以下、いくつか気になった作品を。
 文谷有佳里のドローイング
 彼女の作品は始めてみたのだけど、私には全く言語化できないドローイングでありながら、心地よい。こんなにシンプルな表現なのに、なぜ心を波立たせられるのか、論理を知りたいと興味がわいてくる作品だった。
 田中功起の抽象・家族
 ちょっとしか観ていないし、体験していないけど
 今村洋平の一連の作品
 気合!
 袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の日常演習
 いわゆる非日常の映像
 弓指寛治の輝けるこども
 作家がちょうど展示スペースに居るときに行ったので、横で少々話を聞きながら観たのだけど、画のタッチと展示スペースのデコレーションとで形作られる圧と、表現されている内容の重さとがのしかかってくる。写実でない、画の力を体感した。

aichitriennale.jp

中谷ミチコ その小さな宇宙に立つ人

 美術館的にはメインであろう「デンマーク・デザイン」展もそこそこに、三重県立美術館は柳原義達記念館にて。
 越後妻有のトリエンナーレもあったし、この後東京で個展もあるようなので、作品づくりにいそしんでいたのであろう。予想よりも作品は多く展示されており、美術館側の用意した資料の番号振りで22点。まあ、場所も場所なので、人も少なめで、落ち着いてたっぷりと鑑賞した。
 今回の展示の作品は大きく2つに分かれる。(部屋も分かれている)
 カラスの方は、彫刻の深さが、色の濃さに翻訳され、美しい。
 もう片方は、少女たちのシリーズで、こちらについてここには書きつけておきたい。

 石膏を彫刻し、少女などを描いた上で、透明樹脂を流し込んで固めたこの作品群。基本的には、表現したいもの(=少女の姿など)と表現手法(=彫りこんでいく)にギャップがあり、無理がある。周囲に対して膨らんでいる腕を表現するために、石膏をより深く彫りこんでいかねばならず、周囲よりも膨らんでいる鼻を表現するために、頬や人中の部分よりも深く彫りこむ必要がある。したがって、表現しなければならない形状と、表現の手法とに大きな乖離が存在することになる。
 ゆえに、作品を観たときに、まずは違和感を持つ。先入観で持つ凹凸と作品の凹凸とが一致しないから。作品を観る角度によっては、見えるべきもの見えるはずのものが見えなくなってしまう。(例えば、犬同士か絡み合う≪接吻≫と題された作品は、成立する角度範囲が狭い)
 しかしながら、作家はそんなことは百も承知。陰影を用いて、立体を立ち上げようとしてくる。上述した通り無理があり、観る角度によっては作品が成立しないのだけど、作品の周りをうろつきながら(角度を変えながら)鑑賞すると、(もしかしたら長いこと鑑賞して脳が慣れたのかもしれないが)あら不思議、ある範囲で立体が立ち上がってくる。理屈では凹になっていることが分かっているのだけど、目から受け取った情報は凸になっていて、面白い。また、樹脂の屈折率の妙なのか、作品の少女の顔を角度を変えながら眺めていると、独特の視線が追いかけてくるように見えて、面白い。自分なりの作品への向き合い方を見つけると、自分なりも面白がり方がつかめて、いい体験だった。

 この表現の特徴として、

  • 表面が平滑なので、照明の角度次第でグレアが発生する
  • 樹脂の屈折率に左右される

ことがあげられる。作品表面をアンチグレア加工する、屈折率の異なる樹脂を用いて屈折を巧みに操るなど、さらなる進化がみたい。
 あ、デンマーク・デザイン展は、まあデンマークのデザインが多数見られますよ。
www.bunka.pref.mie.lg.jp
www.bunka.pref.mie.lg.jp