「POSIT もしもを置く たとえばを収める」三澤 遥のデザイン

 松屋銀座のギャラリーにて。平日だったので、独り占めにできる時間多し。
 白い紙から2穴パンチで切り離された直径6mmの紙(のようなもの)と、木材(に掘った溝や窪みや図形など)とで構成される“純度の高い透明性の”配置。
designcommittee.jp

(euglena) Exhibition Seek foundations

 コートヤードHIROO3階のギャラリーガロウにて。
 「watage」でメディア芸術祭の新人賞を受賞した(euglena)の個展。
 展示されているのは

  • watageとその制作模様(webでも観られる)
  • 落ち葉で作ったリボンで道端の猫じゃらしを飾る「Tranquil Signal by Nature Made
  • 新作(名前がわからん)

の3種。個人的には「Tranquil Signal by Nature Made」が印象的だった。
 落ち葉を正三角形に切り抜いたものを2つ組み合わせてリボン型としたものを、各地のねこじゃらしの茎上部に接着し、装飾するというもの。接着の仕方には一考の余地があるように感じたが(糊は芸がないなと)、子供であれば間違いなく、おそらく大人でも見つけたらにっこりしてしまうんじゃないだろうか。個人的に、社会運動的な意味合いでのこの手のナッジ的なものに興味を持っているので、刺さった。
 気持ちはすごく分かるけど、watageの展示がアクリルボックスに収められたかたちでであったのがとても残念。だって、もう、「インタラクティブインスタレーション」じゃないよね。メ芸見に行ったからいいけども。
cy-hiroo.jp

台湾男子がこっそり教える! 秘密の京都スポットガイド―左京区男子休日

 主に宇野常寛が薦めていたために読みました。台湾男子がこっそり教える! 秘密の京都スポットガイド―左京区男子休日。
 わけあって、この本の舞台である左京区(南部)で6年ほど活動していたので、懐かしさが強い。
 京都に住んでいたものとして、私見を述べると、京都の魅力はカオスとダイナミズムである。遠方の人や一般的な観光客からすると京都は古都であり歴史的な町並みや建築物、寺社仏閣の街なのだと思う。でも、京都は有力企業を何社も持つ現代も生きている政令指定都市であり、かつ関西における大学の街でもある。つまり京都には一般的なイメージの「古い」ものや伝統工芸だけでなく、最先端の工業もあれば大勢の住民もいる街であり、しかも工場は別とすると、結構モザイク状に街の中に混在している。自転車や歩きで移動すると、ちょっと移動するだけで町屋から若者の街を通り過ぎ猥雑な繁華街にまで至ることができる。こんなにカオスな街はなかなかない。
 そして、先述の通り大学の街ということは毎年毎年住民の新陳代謝が起こるということである。死んだ街ではなく、常に最新の状況にアップデートされる街なのである。京都住民自体も見栄っ張りで(偏見です)街を常にダイナミックに更新していっていると思うのだけど、やはり若者が毎年毎年供給されてくるのは何物にも代え難いダイナミズムを街にもたらしている。
 本の感想というより、自分の思いを綴っただけになってしまった。ただし、もう10年以上昔の話ですが。

台湾男子がこっそり教える! 秘密の京都スポットガイド―左京区男子休日

台湾男子がこっそり教える! 秘密の京都スポットガイド―左京区男子休日

なつぞら

 2019年上期の連続テレビ小説
 一言で感想を言うと、これじゃないんだよな。
 メンタルもフィジカルもタフなスーパーウーマンがブラック労働環境で特筆すべきものをつくりあげました、という高度経済成長時代の物語が、今語られるということにどういう意味があるのかということ。
 作中、開拓者として、柴田泰樹や奥原なつ(おそらく坂場一久や奥原咲太郎なども)描かれている。そうすると、このドラマは何を開拓したのかと問わざるを得ない。
www.nhk.or.jp

高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの

 高畑勲展。東京国立近代美術館にて。金曜日昼過ぎというのに、すごい人出。
 基本的には図録を買いに行ったようなものなのですが(図録はミュージアムショップでも売っているので展示会場に入らなくても入手できます)、せっかく竹橋まで行ったのでついでに展示も観た。
 副題の通り、時系列に従って高畑の携わった仕事とその際に開発した演出手法が展示されている。某朝ドラのおかげで、急激にアニメ制作について詳しくなった我々は、原画や絵コンテやセルなどを見て興奮する。
 ハイジの世界的なジオラマのみ撮影可。
www.momat.go.jp
takahata-ten.jp

大家さんと僕 これから

 矢部太郎の大家さんと僕 これから。
 ひたひたと迫る死の影。デフォルメされ戯画化されている漫画というメディアの魅力かなと思った。

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime

 国立新美術館にてクリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime。
 儀式的なものの文法?みたいな概念に思いを馳せるような、そんな展示だった。
 というのも、会場は一貫して荘厳そのもの。それが、形式によってもたらされていることは明らかなのだけど、では、その形式とは何か?
 会場が全体に薄暗く、証明としては灯りの色に近い電球を用い、展示の色が主に単色or淡色で構成されている。おそらく上述のどれもが、荘厳さに寄与しており、会場を儀式の式場的な空間たらしめている。
 作品そのものも遺影的であって、いかにも死を想起させるものなのだけども、上に記したような空間設計も死=>葬式を想起させ、結局作品は各々ではなく会場全体であり、文法というか形式というか、その全体なんだろうなと思うのでした。
boltanski2019.exhibit.jp

#009 WALKMAN IN THE PARK

 これはなかなかに心をえぐってくる展示だった。もう、ソニーは過去のレガシーを誇る企業であって、これから実現する未来を語る企業ではないんだろうなという印象を持ってしまった。
 メインは↓

My Story, My Walkman
1979年から現代まで1年ごとに区切り、実際にウォークマンを愛用していた各年代のアーティストやクリエイターなど総勢40名の著名人の方々に伺った思い出とともに、当時聴いていた楽曲をその年に発売されていたウォークマンで実際に楽しんでいただけます。園内を回遊しながら、各年代の機種の多様な変化とともに、40名40年分の音楽体験をご体感いただけます。

なけなしの小遣いを貯めて、わざわざ高いウォークマンを買った世代としては感慨深いものがある。
 以下、小言

  • シリコンオーディオ(死語)から始まっている子らとは心の深いところでは分かり合えない気がする
  • 本人が使っていたのと同じ機種で展示してほしい
  • Walkman Wallがたったの230台ということで、私のかつての愛機がない!

www.ginzasonypark.jp