薬師寺

 1300年というのは果たしてどれだけの時間なのだろうか。塗料が剥げ、木は傷み朽ち、それでもそこに佇む建築物。物体としての3次元的な大きさは大したことがないが、時間軸の1300年を繋いでいるすごさに直感的というか感覚的というか、ある種の感慨を覚える。
 こういう建物に感慨を覚えるのは、モノとしての薬師寺自体にではなくて、薬師寺に含まれている時間や、保たせている宮大工たちの労力や、この1300年間で同じ東経・北緯に立ち、この同じモノを見た人がものすごい数存在するという事実にであって、それは多分骨董品の価値と同じものなのだと思った。土そのものは変わっているだろうけれども、この同じ場所に立って、何百年前かの薬師寺を見た人間と今ここに立って薬師寺を見ている自分はその一点によって彼/彼女と繋がり、その繋がりをつくっているのは、この古びたこ汚い建物だと思うと、なぜか建物自体にも敬意がわいてきたりする。
 いい加減なもんですね。