マルコムX

 マルコムXという一人の男を丹念に追いかける映画。
 もちろんこれは映画でありフィクションであるので誇張や虚構は含まれるのだろうが、マルコムXという人間を「神」にはせず、あくまで「人間」として描いている、つまり「カリスマ」ではあるかもしれないが、「神」ではなく、過ちも犯す「人間」として描いているという点において、誠実な映画だと感じた。スパイク・リーの誠実さを感じた。マルコムXは盗みをする(した)し、白人女とセックスして喜んでいたし、ただの悪ガキだったと描いただけでなく、彼の運動に賛同し自ら手助けを申し出た白人女性を無下に断り、男性主導的な考え方を持ち、安易な逆差別たる黒人至上主義に陥ってしまう。妄信していた指導者の顔を「知恵と苦しみが正視できないほど刻まれた」などと表現してみたりもする。もちろん、それで終わってしまわないから映画で描くような存在なのだけど。
 この作品を観て、世界でも珍しい無宗教に近い国の無宗教に近い環境に生まれ育った僕は宗教の強さと弱さということを考えた。マルコム・リトルというどうしようもなかったただのカスみたいな男が、多くの人の心を掴み、動かすことができるような男になったのは、刑務所においてイスラムという宗教と出会ったことが大きいわけだが、イスラムの浅い部分だけを理解しただけのマルコムは、排他的であり、暴力的であり、妄信的である。さらにイスラム教の奥の本物のところに触れて、彼はもっと大きな人間になるのだが、それでもなお、キリスト教を喜びをもって受け入れることはできなかった。
 同じ信仰を持ち、群れというものを形成することによって、一人ではできないような大きな流れのような力を持つことはできるが、それと同時にその大きな力を使いこなせなかったり、飲み込まれて痛い目にあったり、また、方向を間違えてしまえば、まったくのカルトに堕ちてしまう危険性を孕む。人間は誰しもが弱い存在だと思うし、絶対に揺るがないであろう神というものを強く信じ、すがることで、精神的な強さを手に入れることができるだろうが、やはり矛盾を内包している宗教というもの(矛盾を内包してしまっているところが宗教のすごさだけど)にすがってしまうのは、本質的に何がしかの問題を孕んでいるだろう。そんな怖さがこの映画の中に存在していた。
 なんか、この作品の重要なところを捉え逃している気がしてならないけど、とりあえずデンゼル・ワシントンが結構マルコムX本人に似ている。

マルコムX [DVD]

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