考える

 この前、食堂で友人たちとべらべらとくだらない事をしゃべりながら昼飯を食べていたとき、ショックなことがあった。
 食堂にはテレビがあって、まあ、お昼なので昼ワイドショーが映し出されていたのだけど、その番組が例の秋葉原の事件を扱っていた。で、例の加害者の話題になっていたのだが、そのとき仲間内の一人がこう言った。
「こんなやつ、さっさと死刑にしたったらいいねん。」
 私はちょっといやな気持ちになった。
 その後、話がつながっていったのだが、私以外のみなは彼に同調していた。文言までは覚えていないが、このような人間を生かしておくから世の中よくならないとか、死刑廃止とかいう知識人はダメだとか、そんな話になっていたような気がする。私はというと、そのテーマの話が終わるまで黙っていた。話題が変わってから、心もちテンションを上げて、虚しくなったのをごまかして再び会話に加わった。
 ここで書いておきたいのは、彼らがいいやつらだということだ。そして、彼らは善良な市民だということだ。彼らはまったくの悪気なく、まったく純真に語ったのだと言える。それがいやだった。そして、お見事にスルーし、何事もなかったかのようにふるまった自分もいやだった。
 もちろん、私は彼らを論破できただろう。できる限りの正論で。その考え方がいかに間違っているか、どう歴史を踏みにじっているか。でも、それで何か変わるだろうか?議論はすれ違うだろう。はなっから議論にならないかもしれない。私がうざがられることと、その場の空気と昼食がまずくなることと以外に何かが残るだろうか?たぶん何も残らないし、彼らの考え方も変わらない。飯食いながら数秒数分で伝えられるものではないだろうから。論理で伝えるにはあまりにも煩雑だし、論理で押し付けられたものは心に響かないだろう。
 でも、何も言わなくていいわけじゃないことはわかっている。でも、どう伝えたら、ロジックで納得させるのではなく心に通じて受け入れられるだろうか?私の思いはどう伝えていけばいいのだろうか?