人新世の「資本論」

 斎藤幸平著、人新世の「資本論」、文庫で。中盤面白く読んだが、基本的には同意できないかな。
 著者は資本論にとどまらずマルクスの研究ノートや手紙を読み解く研究をしておりマルクスに心酔しているので「マルクス≒正解」的な世界観からもろもろを語る(少なくとも本書ではそのように論が展開される)のだが、我々読者のほとんどにとって、マルクスの名誉の回復やマルクスの文章の解釈正当性はどうでもいいことで、我々が興味があることはマルクスを読み解くことでどういうビジョンがもたらされるか等の実用性などであろう。読者からすると、マルクスが部分的に間違っていてもどうでもいいことなのだが、マルクス全てを肯定しようとする論調には違和感を覚えた。
 また本書は基本的にコモン(共有財)の領域を拡大して商品の領域を狭め、資本主義の領域を狭い領域に抑え込むことを望ましい方策として主張し、資本が自己拡大という目的のために暴走することを繰り返し警告する。しかしながら、私のような「田舎」的な人間関係が煩わしく都会の生活(多くの調整を金銭で解決する)を好むタイプの人間にとっては別に望ましい世界ではない。私の個人的な意見としては、組織こそ自己の存在維持が自己目的化するので信頼できず、何をもってコモンの調整をするのか、不安でしかない。彼にとっては文明の滅亡を前に私の不快は取るに足らない問題ではあるだろうが・・・。
 また、左派に対する批判としてありふれたものであるが、本書にて取り上げられたワクチンとEDの薬の比較の件、人間を人間たらしめるのは何か、という観点で貧しいと感じた。もちろん衣食足りて礼節を知ることに異論はなく、生き延びてこそではあるのだけど、生きられればそれでいいわけではないので。この手の貧しさが少なからず顔を見せるので、気になった。
 その他、資本主義に対して、コミュニズムを対置するのはなぜなのだろう?共産主義という言葉は色がついているということだろうか。