ファンタジスタ

 星野智幸のファンタジスタを読んだ。以下内容について。

  • 砂の惑星

 ストーリーの上で、言葉、肉体、砂などのイメージが絡み合い、星野の思考が展開され、主人公喜延の言葉や行動を通して表現される。うまく評する言葉を見つけられないのだけど、一部の人間に根源的に存在するであろう、無に帰すことへの欲望、もしくは意思のないであろう動物や植物になってしまいたいという欲望(少なくとも僕個人はそのような欲望を自分自身の中に見出すことできる)が、厭世的な小学生たち、土に還ることを切望する人々、それらが信憑性を持って物語の中に存在していることで、描かれているように感じた。
 が、物語の導入で、主人公の父親がつぶやき続けた言葉が書き連ねられる一節は、科学的な違和感を感じ、物語の流れに乗ろうとすることを妨げられた。登場人物の発した言葉だから、現実に即する必要はないのかもしれないし、どこが違うと指摘することもままならないような違和感なのだが、物語の最初っから引っ掛かりがあると読む側としてはつらい。
 また、主人公が雑木林の中で全裸で俯く、「土に植えた喜延の男根は…」以降の描写は、何か星野が自分の勢いそのままに書いたような痕跡が感じられて、少々興醒め的な感想を覚えた。

  • ファンタジスタ

 野間文芸新人賞受賞の表題作であるが、砂の惑星同様、設定、導入がすんなり頭になじまなかった。日本という焼き直し的な仮想現実を組み立てようとする設定がやたらと煩雑に感じて、なんなんだよと思いながら我慢して読み続けたのだが、中盤に入るとその設定が生き始めていた。設定が下手なのではなく、提示の仕方が独特なのだろうか?とにかく、中盤に入ると、気づかないうちに星野の物語の中に引き込まれていた。
 この小説において、ダキマクラの描写が秀逸だと感じた。特に、リョウジとの別れの前の描写では、幻想的なダキマクラの存在や脱皮が生々しく描かれ、後からここだけを読むと実にバカバカしくてかなわないことが書いてあるにもかかわらず、文脈の中で読んだときは(久しぶりに)心を揺すぶられるような感覚を覚えた。少なくともここに関してはフィクションが信憑性を持ち、ダキマクラの存在を疑わせないだけの力を感じることができ、加えて、描写そのものだけでなく、つくり上げている世界も中盤ではふくらみを感じ、何か光るものを感じた。
 登場人物にしても、主人公よりかは、むしろリョウジの父親の方が僕には魅力的だったのだが、主人公以外の人物もきちんと書かれており、もしかしたら、友人の言うとおり期待の作家なのかも知れないと思わせるだけのものはあった。
 途中さわやかな印象の部分があったが、あれは好みの問題なのか、少し引っかかった。また、砂の惑星にも言えるのだが、いろんなことを盛り込み過ぎ感は否めない。

  • ハイウェイ・スター

 この作品は上記2つより設定はずっと入り込みやすかったように感じた。トンネルの存在なんかは、文學界高橋源一郎の連載で触れられていた小説を思い浮かべるようなもので、著しく抽象的なのだが、抽象的な作品としては笙野頼子を水で薄めた程度でしかなく、スタイリッシュかと言えばたいしたこともなく、イシハラKやアザラシ髭の小男という石原莞爾昭和天皇のような人物が出てきて、そう言えばこいつ政治好きだったな程度の感想しか持たなかった。それ以外特に書くような内容はなかったように思う。

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