高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの

 高畑勲展。東京国立近代美術館にて。金曜日昼過ぎというのに、すごい人出。
 基本的には図録を買いに行ったようなものなのですが(図録はミュージアムショップでも売っているので展示会場に入らなくても入手できます)、せっかく竹橋まで行ったのでついでに展示も観た。
 副題の通り、時系列に従って高畑の携わった仕事とその際に開発した演出手法が展示されている。某朝ドラのおかげで、急激にアニメ制作について詳しくなった我々は、原画や絵コンテやセルなどを見て興奮する。
 ハイジの世界的なジオラマのみ撮影可。
www.momat.go.jp
takahata-ten.jp

大家さんと僕 これから

 矢部太郎の大家さんと僕 これから。
 ひたひたと迫る死の影。デフォルメされ戯画化されている漫画というメディアの魅力かなと思った。

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime

 国立新美術館にてクリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime。
 儀式的なものの文法?みたいな概念に思いを馳せるような、そんな展示だった。
 というのも、会場は一貫して荘厳そのもの。それが、形式によってもたらされていることは明らかなのだけど、では、その形式とは何か?
 会場が全体に薄暗く、証明としては灯りの色に近い電球を用い、展示の色が主に単色or淡色で構成されている。おそらく上述のどれもが、荘厳さに寄与しており、会場を儀式の式場的な空間たらしめている。
 作品そのものも遺影的であって、いかにも死を想起させるものなのだけども、上に記したような空間設計も死=>葬式を想起させ、結局作品は各々ではなく会場全体であり、文法というか形式というか、その全体なんだろうなと思うのでした。
boltanski2019.exhibit.jp

#009 WALKMAN IN THE PARK

 これはなかなかに心をえぐってくる展示だった。もう、ソニーは過去のレガシーを誇る企業であって、これから実現する未来を語る企業ではないんだろうなという印象を持ってしまった。
 メインは↓

My Story, My Walkman
1979年から現代まで1年ごとに区切り、実際にウォークマンを愛用していた各年代のアーティストやクリエイターなど総勢40名の著名人の方々に伺った思い出とともに、当時聴いていた楽曲をその年に発売されていたウォークマンで実際に楽しんでいただけます。園内を回遊しながら、各年代の機種の多様な変化とともに、40名40年分の音楽体験をご体感いただけます。

なけなしの小遣いを貯めて、わざわざ高いウォークマンを買った世代としては感慨深いものがある。
 以下、小言

  • シリコンオーディオ(死語)から始まっている子らとは心の深いところでは分かり合えない気がする
  • 本人が使っていたのと同じ機種で展示してほしい
  • Walkman Wallがたったの230台ということで、私のかつての愛機がない!

www.ginzasonypark.jp

『windandwindows|ウインドアンドウインドウズ』 蓮沼執太フルフィル × Ginza Sony Park

 ソニー様の誇るハイレゾサウンドで(音小さめに。周りにいろいろあるからね。)再現されるフルフィルのwindandwindows。その中を歩いて、各パートの音に耳を澄ませるというのもなかなかにいい経験でした。
www.ginzasonypark.jp

クレアのカメラ

 ホン・サンスクレアのカメラ。DVDで。ま60分ちょいだし、ホン・サンス風味を味わえるというだけかな。

クレアのカメラ [DVD]

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白昼のマスク / 夜を固める

 代官山のアートフロントギャラリーにて中谷ミチコ : 白昼のマスク / 夜を固める。
 この個展では薄く黒を混ぜたアクリル樹脂の立方体にモチーフが埋め込まれているような新作やドローイングも展示されていて興味深かった。
 新作も合ったにもかかわらず、もっとも印象に残ったのは少女と犬2匹の大きめの作品。樹脂の種類を変えたのか、作りたてだからなのか、樹脂の透明度が高く、かつ大きい作品だからそれが顕著にわかって、美しさが一段上だった。
 また、ドローイングを観て、個人的に持った感想としては、彼女にとって、水彩によるにじみやグラデーションとアクリル樹脂の深さによるグラデーションが同じものとは言わないまでも、近いところにあるものなんだろうなと思った。
 もっと樹脂の取り扱いに習熟してくると(縮みの理解など)もっと完成度があがってくるのだろう。樹脂を継ぎ目なく樹脂に埋めることには成功しているのだから、樹脂の屈折率を自在に操るような、そんな作品も見てみたい。
www.artfrontgallery.com

あいちトリエンナーレ

 混まないタイミングを狙って、平日にあいちトリエンナーレ愛知芸術文化センター名古屋市美術館と四間道・円頓寺と。
 総じての印象としては、小粒というか薄味のものが多かった印象。例の表現の不自由展・その後の影響で複数のKoreanの作品が抗議の展示中止がなされていたり、ちょっと残念感。
 以下、いくつか気になった作品を。
 文谷有佳里のドローイング
 彼女の作品は始めてみたのだけど、私には全く言語化できないドローイングでありながら、心地よい。こんなにシンプルな表現なのに、なぜ心を波立たせられるのか、論理を知りたいと興味がわいてくる作品だった。
 田中功起の抽象・家族
 ちょっとしか観ていないし、体験していないけど
 今村洋平の一連の作品
 気合!
 袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の日常演習
 いわゆる非日常の映像
 弓指寛治の輝けるこども
 作家がちょうど展示スペースに居るときに行ったので、横で少々話を聞きながら観たのだけど、画のタッチと展示スペースのデコレーションとで形作られる圧と、表現されている内容の重さとがのしかかってくる。写実でない、画の力を体感した。

aichitriennale.jp