清原惟監督、わたしたちの家。映画ってなんだろう、そう思わせられる映画だった。
玄関がシャッターである民家兼昭和のタバコ屋みたいな建物に住む①セリと桐子の親子、②さなと透子、のパラレルワールドを2つを交互に描いていく。
- スクリーンに映し出される画の構図
- 座る位置など、その世界の中での座標
が意味深で、過去に観た映画を思い出させる。
この映画はその世界をただ、描き出して、ちょっと2つの世界をつなげて、上映が終わる。描かれる2つの映画世界において、基本的に何も明らかにされない。
清原監督は、映画技術をよく勉強していると思う。映画を観てきた人が観客となった際に、こころくすぐられるような要素を各所に散りばめている。でも、だから何?というのが正直な感想。世界が閉じていて、私に訴えてくるものは特に感じなかった。監督の、世界に対する態度表明としても、特に何も表象されていないでしょう。透子に象徴される日常の繰り返しを積極的に肯定しているようにも見えない。
また、あくまでも2つのパラレルワールドはどちらが主で残りが従でというわけではないと思うのだが、セリがクリスマスツリーを地面に挿して電飾が点くシーンによって、①セリと桐子の世界が世界と信頼性を失い夢の世界のように捉えられてしまう訳だが、それはおそらく作り手の意図に沿ったものではないだろう。
そして、知りたいと思う謎が食卓における座る位置である。あの家の食卓における上座を、映画の前半ではセリと透子がそれぞれの世界において定位置としていたことに意味はあるのか、後半で透子の座る位置が変わったことに意味はあるのか、それが知りたい。
大学院修士課程の制作作品としては、実にすばらしいと思う。でも、それで1800円をとって見せるに値するかというと、個人的にはどうかなと思う。
日本家屋ってこんなに直線で構成されていたのかと思い出さされた。そういう機能的な面では、語るべきところの多い映像であった。
清原惟監督作品 『わたしたちの家』
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